ユンデフレミング

6.-おときあかし-


 私は何をしてるんだろう。
 結局家まで走って来てしまった。階段をかけあがり、部屋に飛び込んで布団に顔を埋める。あ、ちょっと匂ってきたな、ファブリーズないかしら。
 まぁ、私のやったことを端的に表現するならば、逃げ出したと言って差し支えない。菱谷君の表情は見てないが、さぞや面白いものになっていただろう。第三者目線から見たとしたら。
 ただ、あの後を聞くわけにはいかなかったのだ。何故かと理由を聞かれたら口ごもるしかないのだが、あの後を聞いてしまったら私は二度と都都と笑って会話できないような気がしたのだ。
 大体だねぇ、あの菱谷君とやらも少しはこちらの事情ってもんを考えてほしい。こちとら君のことはつい数日前初めて会話したような仲であって、色恋沙汰というかまずお友達以前、知り合いにするかどうかを考慮しようかというのを考慮する段階だったと言うのに。とんだ飛び級野郎である。
 演奏に惚れ込んで人間にまで惚れるってどんな思考の錯誤がそこにあったのかは分からないが、ヴィジュアル系ロックバンドとかのメンバーに本気で惚れる同級生も居ることだし、無い事では無いのかもしれないが、にしたってあの演奏会は私が小学生のころに演った代物だ。あんなんで感動されて恋い焦がれられては、私は都都をどれだけ愛さなきゃならないんだ。そういう意味で言うとフジコ・ヘミングもグールドもホロヴィッツもウン億人に重篤で病的な愛を注がれるわけで、なるほどやっぱり音楽家なんて変態しかなれないのかもしれない。結論がずれた。
 それとももし、彼が言いかけていたことが、私の予想していたものと違ったら? それこそ私は首を吊って死ぬぞ。いや、殺してくれ。自意識過剰の塊が日本国内を闊歩することはいくらなんでも公序良俗の面から見てマズい。
 顔が熱いわ。数学の時間に「この問題の答え合ってた人ー」と教師が問うのに、何も考えずに手を挙げると、周りでは誰も手を挙げてなかったパターンのヤツくらい顔が熱いわ。当てられて、どもりながら相加相乗平均を利用した別解を語る私。数学は専門外だって言ってるでしょ。やめてよ熱心にメモ取らないでよ大した発想じゃないわよ。あの感じ。
 枕とのディープキスを決行していて、そろそろ息苦しくなってきた頃、ドアがノックされた。
「はーい」
 どうせ、祖父母のどちらかが私をバイトに呼び立てに来たに違いない。今の気分でまともに接客できるかどうかは甚だ不安であるが、そうも言ってられないのがプロフェッショナル。あ、無給だからプロじゃないのか。
 ドアが一向に開かないので、こちらから開けに行く。別に鍵なんかかけてないというか、そもそも付いてないんだけど、何を遠慮しているんだろうか。
 ドアを内側に引く。青木さんが居た。
 咄嗟にドアを閉めた。おいただの客風情がどうして居住スペースに上り込んでるんだよ乙女のプライベートに対する配慮ってもんがアンタにはないのかうんぬんかんぬん。
「ちょっ、真紀ちゃん、まーきーちゃーん」
「何勝手に人の家上がり込んでんのよ、変態! ロリコン!」
「心外だな。中学生に欲情する位だったら去勢するね。それに、君の祖父母から許可はもらってるよ」
「私から許可をもらってないの!」
 別に部屋に見られて困るようなものがあるわけでもないが、いや、完全にないとは言えないが、というかぶっちゃけ勘弁してほしいが、とにかく何をしに来たんだこの男は。普段は私が話しかけるまでこっちに興味がある素振りさえ見せないくせに、どうして今日に限って私に用があるんだ。
「真紀ちゃん、落ち着いて話を聞いてくれ。今から謎解きをする。だからちょっと下に来てくれよ」
 え?
「い、今なんて」
「二度は言わない約束だ」
「そんな約束してない!」
 たまらずにドアを開ける。すでに青木さんは階段を降りていた。
 一体どんな心境の変化だ。と、いうか都都のことはいいんだろうか。私もとりあえず制服から着替えて階下に向かうことにした。なんであれ解決編を聞けるというのなら拒む理由はない。こんな腐った恋愛パートともおさらばだ。

 階下に降りた私は目を疑った。ボックス席に、青木さんはともかく、都都と菱谷君まで居るのだ。ちょこりんとちゃっかり青木さんの隣に陣取る都都と、その真向かいでまたもやオロオロしている菱谷君。今日はアウェーな場所にいることが多いですな!
 菱谷君を見て、そのまま今降りてきた階段を上がろうとする私を都都が肩を掴んで押しとどめる。
「はーい逃げちゃダメー。今日逃げたら明日はもっと大きな勇気が必要になるぞー」
 やかましいわ!
「全部トラップだったのね! おかしいと思ったわ急に解決編だなんて」
「いや、謎解きをしてあげようというのは嘘ではないよ。仕事もちょうど方がついたところだったしね。ただ、その前に君自身が答えを出さなきゃいけない問題があるだろう」
 クソッタレがァ。
 引きずられるようにして、私もボックス席に連れて行かれる。今度は都都が菱谷君の隣に座って、私は対面に座らされた。
「おおっとその前に。真紀ちゃんは今日、苦い君たちから話を聞いてきてくれた?」
「え、えぇ、まぁ」
 青木さんが、急に話の矛先を逸らすので、私も面食らってしまう。
「それを最初に聞かせてくれないかな」
 とは言っても鍵の件とどんな曲がかかっていたか、ということしか聞いてきてないけど。五分くらいで軽く説明した。ふんふんと適当に相槌を打ちながらおとなしく聞いている青木さん。都都や菱谷君の方は意図的に視界から外した。
「これだけの話で本当に分かるの?」
「あぁ、大丈夫。必要な情報は出そろった」
 青木さんはそういうと、長くもない足を組んで、興味なさげにそっぽを向いてしまう。都都の方に手をひらひらと振ってジェスチャーする。都都は、それにすかさず反応した。
「さて、告白の仕切直しといこうか」
 もはや真剣な表情を繕おうともせず、下卑た笑みを浮かべている都都。別に私が恋愛至上主気者で、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねとか思っているわけでもないが、それにしたってこうちゃらけた雰囲気にしてもいいわけ。
 それとも、恋愛を高尚に見て、振った振られた掘った掘られたでマジになっちゃう方が現代っ子的には恥ずかしいことなのか。まぁ確かに私もちょっと冗談で人の恋愛事情をネタにして、それで人でなし扱いされたときには、恋愛依存症の勘違い腐れビッチに苛ついたもんだが。
「島村」
 さっきまで不味いコーヒーを啜っていた、肝心の菱谷君が私を真っ直ぐ見てくる。発言の前にためらいの音は混じっていなかった。思わず背を伸ばして、
「は、はい」
 なにちょっとドキドキしてんのよ私の心臓は。
「好きだ。付き合ってくれ」
 ……直球だなぁ。思わず目を逸らした。
 都都は笑いを堪えてボックス席の背もたれをびしばし叩いているし、青木さんは興味なさそうに煙草をふかす。ここは禁煙だ。
 さてはて、ここで私はどう答えるべきなんだろうか。
 別段、菱谷君が嫌いなわけではないが、好きか嫌いか恋愛感情で聞かれると、ぶっちゃけアウトオブ眼中もいいところだった。というかまず恋愛というものを真剣に考えたことがなかった。
 だとしたら、真剣にお答えするとしたらここは一度保留するべきなんだろうが……。
「ごめんなさい。私今他に好きな人がいるの」
 目を逸らしたまま、私の口を突いて出たのは逃げの台詞だった。
「そうか。あー……、そうだよな」
 うん、そうだ。などと繰り返して、一人でうなずき、不味いコーヒーを一気に飲む菱谷君。……悪いことしたのかなぁ。それすらも正直言って分からなかった。
「えー振っちゃうの? こういうこと言うのもなんだけど菱谷君相当頭いいし、優良物件とみて間違いなさそうよ? それに真紀の性格考えたらもう一生貴女を好きになる人なんていないのかもしれないわよ?」
 都都が混ぜっ返してくる。私にも分かるがこいつにはデリカシーの欠片もない。
「それに、貴女他に好きな人なんて居たかしら」
 あー、それはほら軽く口を突いて出た嘘だし……。誤魔化さなきゃいけない、のか?
「それは、ほら、み、都都よ。ほら私、男に興味とかないし」
 あ、間違った。これは完全に発言を間違えた。
 青木さんの無反応がいたたまれない。

「で、ほら、その話は終わったこととして、青木さん、ほら、謎解きの話」
 わざとらしく大袈裟に手を動かして、話題の転換を要求する私。
「そうよ、これから謎解きしてくれるんでしょう?」
 なぜかまんざらでもなさそうに私の腕にひっついてくる都都も青木さんを急かす。
「いや、……どうも君たちの世代の価値観は分からないね。まぁいい。目の前で青春が繰り広げられていることにムシャクシャしていたところだ」
 煙草を菱谷君のコーヒーカップの中につっこみ、煙を私たちの私たちの方に向かって吐き出した。

「さて、どこから説明したものか。まぁまずは準備室の密室の謎から説明しようかな。真紀ちゃん、あれは人がやったものだと思う、それとも幽霊がやったものだと思う?」
「そりゃ……人がやったに決まってるでしょ。そもそも幽霊がピアノなんか弾けるわけないし」
「ほう、それはどうしてかな」
「足がないからよ」
 都都がぷっと吹き出す。菱谷君は憮然とした表情を崩さない。「そうだね。足がなければペダルを踏めない。ペダルを踏めなければピアノは弾けない。別にペダルを使わない奏法がないわけではないが、君が聴いた演奏はそのようなものではなかった。なら、ピアノを弾いたのは人間だ。では、その演奏はそのときリアルタイムで行われていたのか否か。どう思う?」
 それってつまり……、録音したものやCDを流してたんじゃないかってこと?
「それは、人間が弾いていたならどうやって隠れたのか不思議だし、録音してたのを流してたならどうやって止めたのかが不思議だし……。それに、選曲が都都とかぶったのも」
「そう。そこで、この二つの問題を一気に解決する方法がある」
 そう言って、一本指を立てる青木さん。
「先に言ってしまおうか? 犯人は、都都ちゃんと菱谷君だ。そうだね?」
 挙げた二人の方は一顧だにせず、私だけを見て言う。
 それはおかしい、とっさに言おうとして、何がおかしいのか自分でも分からなくなった。確かに、都都は怪しかったし、菱谷君も今まで考慮に入れなかったとは言え、確かにあの時都合よく現れたのはおかしかったかもしれない。それでも、
「でも、おかしい。動機がない」
「そう、動機ねぇ……。動機の説明は後回しにするとして、彼らの当日の行動から振り返ってみようか。
 まず、都都ちゃんは水島先生から鍵を借りる。一番重要だね。ないと何もできない。というより、都都ちゃんは先生から鍵を借りることが出来るのを分かってたからこれを計画したんじゃないのかな。
 そして、音楽室のレコーダーの方。これは簡単だ。どちらかが放課後に、仕掛けをしたレコーダーを持っていって、ピアノの中に置くだけでいい。CDはどっちでも持っていただろうしね。これはどっちがやったのか分からないが。どっちがやったんだい?」
「俺です」
 話を聞いているのかいないのかも分からなかった菱谷君が、体を全く動かさずに答える。ソファに深く腰掛けて、煙草の入った自分のコーヒーカップを見つめている。
「そうか。都都ちゃんから鍵を借りたんだね。じゃあ、そのとき都都ちゃんはうちに帰って着替えでもしてたのかな。割と家から学校まで遠いもんね」
「えぇ。その通りです。着替えたのはアリバイづくりの意図もあったんだけど、真紀はその辺のことも気づいてくれたかしら?」
 あ……、全く気にしてなかった。そういえば、確かに都都の家から学校までは割と距離があるので、学校でいろいろと仕掛けをしてから帰ってまた来るのでは間に合わないのか。あの日は、先生から鍵を借りるっていうので遅くまで残っていたらしいから尚更だ。
「そう。そもそも、音楽室のピアノが鳴り出す、という話だったから、とりあえずは音楽室のピアノを鳴らさなければならなかった。当然だね。しかしそれでは都都ちゃんたちの目的は果たせない。それで、えーっと、準備室の謎の方。一応聞いておくけど、それが鳴り出したのは、八時も一五分過ぎくらいだったんだよね」
「そうね。そのくらいだったわ」
「なら、菱谷君の行動はこうだ。彼は、七時から、七時三十分くらいの間に、都都ちゃんから借りた鍵束を使って、音楽準備室に入り、同じ鍵束で高級そうなオーディオの入っているケースを開ける。彼は、そこにCDをセットして、再生するんだ。そして、忘れずにリモコンを閉まって、ケースをに鍵をかける」
「ちょ、ちょっと待ってよ青木さん。何を言ってるのかさっぱり……」
 その時間にCDをかけて、どうするっていうのか。まさかその残響が私たちに聞こえていたとでも言うわけでもなかろうに。
「察しが悪いなぁ。彼がこのときかけたのは、前半の六、七十分くらいが無音のCDだよ。その後に、アラベスクの二番の演奏が入っている」
 あっ……。気づきかけた私が思考をまとめる前に、青木さんはどんどん先を続ける。
「事前に都都ちゃんと菱谷君がいつCDをかけて、いつ音が流れ出すかということを相談しておけば、都都ちゃんの弾くピアノと準備室の幽霊ピアノを同期させることは容易い。実際、都都ちゃんが携帯をよく見ていた、というのは時間の確認と、菱谷君との連絡だったんじゃないかな。都都ちゃんは時間を見計らってアラベスクを一番から弾いて、タイミングを調節する。ちょうど、アラベスクの二番を弾き始めるのと時期を前後して、準備室でもアラベスクの二番が流れ始める……」
「な、なるほど」
 確かにそれなら、鍵のかかった部屋で鍵のかかった箱から音楽を流すことはできる。そして、それを聴いた私が愚かにも準備室に向かう。
「オーディオも、水島先生ご自慢のスピーカーで、部屋の外から聞く分には真紀ちゃんには生演奏と区別が付かなかった。ところでそのCDは、都都ちゃんか、都都ちゃんの先生が演奏したものを録音したものかな。プロの演奏家のものだと、下手したらタッチで真紀ちゃんが気づいちゃうかもしれないから」
「先生に弾いてもらったわ。だって、私の演奏なんて録音したら、真紀は一発で気づいてくれちゃうもの」
 私の腕を抱いて、一層よりかかってくる都都。髪から私が使ったことのない、これからも使うことのないであろうシャンプーのにおいがする。いや、そりゃまぁアンタの演奏だったら気づくけど。
「そ、そんなことよりも、私たちが部屋に入った途端に演奏が止まったのは?」
「止めなきゃいけなかった理由はもちろんある。いくらなんでも音楽室の中に入ったら、生演奏でないことが気づかれてしまう。当然だ。スピーカーから音が出ているのが丸分かりだからね。では、どうやって音を消したのか? ここで、さっきCDをかけてから行方不明の菱谷君の行動が重要になってくる。
 彼は一体、準備室のオーディオに仕掛けつきのCDをかけてから何をしていたのか? まさかそのまま家に帰ったわけでもあるまい。都都ちゃんが真紀ちゃんと行動を共にしていて、オーディオの演奏を止められない限り、彼が止めるしかない。それに、後から真紀ちゃんの前に姿を現す必要もある。さて、真紀ちゃん、彼がどうやってオーディオの再生を止めたのか、分かるかい?」
「えっ、だって……。オーディオは私が準備室に入ったときにはすでに鍵付きのケースの中だったし、あの中には仕掛けをするようなスペースはないし……」
「真紀ちゃん、鈍いなぁ。音楽室の謎がそうやってせせこましいおもちゃみたいな仕掛けだったからって、準備室の謎まで同じように考えるからいけない。考えてもごらんよ、オーディオはどうやって音楽を再生してるんだい?」
「どうやってって……、CDの表面に刻まれた情報にレーザーを当てて……」
「あぁ、そういうことを言ってるんじゃない。動力の話だよ」
 ……まさか!
「気づいたかな。そう、電力だ。大きくて立派なオーディオは、音楽室のコンセントから電力供給を受けていた。ここで菱谷君が登場だ。彼は、準備室でオーディオで仕掛けCDをかけてから、どこにいたか。そう。ティンパニ部屋だ。
 ティンパニ部屋は、内側から鍵がかかる。万一君たちがティンパニ部屋に入ろうとしても、菱谷君が鍵をかけて息を潜めていれば、気づかれない。そして、ティンパニ部屋にはブレーカーがある。自分でそう言ってたね、真紀ちゃん?」
 あぁ……、実に当たり前のことで忘れていた。いいわけをするならば、私にとって、あの部屋の重要性というのは、エアコンの操作パネルがあることであって、ブレーカーなどではないのだ。
「彼は、準備室に君たちが向かったのを見計らって、鍵を開けて、外にでる。そして、都都ちゃんが鍵をガタガタと大きな音を立てて揺するのを聴いて、ティンパニ部屋に戻る。まぁ、後はタイミングの問題だろうね。準備室の方に耳をすませて、鍵が開くのと、ブレーカーを落とすのを同時くらいになるようにする。ブレーカーが落ちれば当然電力供給は途絶え、オーディオは動作を停止する。そのとき、ぶつ切れになっても不自然じゃないようにアラベスク2番みたいに切れ目の多い曲を選んだのかは定かじゃないけど、都都ちゃんが大きな音を立てて誤魔化しているんだし、大した問題ではない。
 これで幽霊ピアノの謎は終了だ。後は、真紀ちゃんと都都ちゃんが帰った後にでも、菱谷君が戻ってきて、オーディオからCDを取り出して、ブレーカーを上げるという作業をすればいい。翌日の早朝でもいいけど」
 青木さんはまくし立てた。ここまで長々と話すのは、こういう謎解きの時だけだ。
「何か質問とか、矛盾とかはあるかな。特に犯人のお二人さん」
 青木さんが私の方から、隣の菱谷君、前の都都に目線を移して訊く。
「ないわ。全てにおいて合ってると言ってもいいですわ。……、トリックの面ではね。そうそう、鍵の件だけど、貴方の言うとおり、火曜日の放課後の時点で水曜日の放課後に鍵をに借りられることが分かっていたわ。だからこの事件を計画したのよ。ところで、肝心の私たちの動機は?」
 そうだ、動機のことをすっかり忘れていた。なぜ都都はこんな嫌がらせじみたことを共犯者を使ってまでやらなきゃいけなかったのか? 私を怯えさせるのなら、もっと効果的な方法がいくらでもあるはずだ。
「え……、それ、僕が言わなくちゃダメかい? 僕が言っちゃったら君に口止めされていた意味が全くなくなるんだが」
 都都が鼻を鳴らす。
「ま、それもそうよね。どうする、菱谷君、自分で説明する?」
「嫌だ」
「いいじゃないの、どうせもう振られてるんだし」
 あ、はい振りました。その件については大変申し訳なく……。
 というか、都都が主犯じゃないのか?
「振られてるからこそ嫌なんだよ。恥の上塗りじゃないか」
「おいおい菱谷君、振られることは恥でも何でもないぞ」
 笑ってるように見えて、頬のひきつってる青木さん。何かトラウマにでも触れたように見える。
「じゃあ、私が言っちゃうけど。あのね、菱谷君はね、貴女の気を引きたかったのよ」
 は?
「だから、幽霊に怖がっている少女の元に、同級生の男子が駆けつける。何とも胸が高まるシチュエーションじゃない?」
 え……っと……。つまり、俗に言う外堀を埋めるとかなんとか……。
「くっだらねぇぇっぇえー!」
 思わず絶叫していた。都都が隣で耳をふさぐ。
「下らなくなんてないさ。ほぼ全ての中学生男子の考えることなんてこの程度のレベルさ。それでも下らないというのなら、それはもう男という生き物が下らない生き物なんだろうね」
 やたら悟った風を装って、何本目かの煙草に火を付けながら言う青木さん。私は身を乗り出して、その煙草を奪い取って、その勢いのままそれを菱谷君のコーヒーカップの中にねじ込む。
 頭を抱え込んで、死にたいと連呼する菱谷君を見ていると、馬鹿にする気も失せるわね。
「とんだチキン野郎よ、見損なったわクソヤロウ!」
 死にたい連呼がごめんなさい連呼に変わる。
「まぁ許してやりなよ、貴女のことを愛するあまりの行動よー?」
 都都がのへらのへらとだらしない顔をして私の頬をつついてくる。アンタ私の頬好きだな。
 ……、この顔を見ているとどうも菱谷君が都都の口車に乗せられた被害者にも見えてくる。
「ほんっと下らないわね……」
「そう、だから、菱谷君はブレーカーを落とした後、君たちの前に姿を現す必要があった。認識させることで、真相がバレてしまうかもしれないというのにね」
 そこはしたり顔で解説を始めるんじゃない。
「火曜日の放課後、水曜日に鍵を借りることを約束した私は、ちょうど真紀から聞いた幽霊話もあって、あれで貴女を怖がらせることが出来るんじゃないかと思ってたのよ。そこに、貴女にホの字の菱谷君。彼が貴女に惚れてるのは前々から私気づいてたんだから。まぁ上手く利用させてもらったわ」
「都都」
 都都の両肩を掴んで、両手にぐっと力を入れる。
「なに?」
「絶対に許さないからね」
「でも、久々に貴女もピアノ弾けて楽しかったんじゃないの? 私も聞きたかったわー」
 楽しくなかった、といったら嘘になるが、まだアンタの前で弾くのは無理だろう。
 掴んでいた両肩を少々乱暴に突き放す。
「はぁ……。この借りはいつか返してもらうわよ」
「何よどこから借りてきたのそのセリフ?」
 しばらく菱谷君の頭を小突いていた青木さんが、思い出したかのように口を開く。
「そういえば君たち、僕の話はまだ終わっていないよ。僕が今解説したのは先の水曜日の話だけだ。幽霊は毎週出るって言ってただろう?」
 あっ、そういえば。
「それも、都都たちがやったんじゃないの?」
「君は話をきちんと話を聞いていたか? 都都ちゃんたちが今回のことを計画したのは今週の火曜日の放課後だ。おまけに、なんのためにやったのかさっぱり分からない。念のため確認しておくけど、違うよね、二人とも?」
 頷く二人。
「でも、俺たちも毎週現れてたっていう幽霊については知りませんよ」
「ちょ、じゃあアンタたちもし毎週恒例の幽霊と被ったらどうするつもりだったのよ」
「別にどうする気でもないわ。本物が出たところで、私たちの最終目標になんら影響を与えることはないわけだし。それに、ティンパニ部屋に菱谷君が隠れてるし、その彼が鍵を持ってるんだから、本物の幽霊でもない限り、他の誰かがイタズラするのも無理でしょう」
 呆れた! なんと杜撰な。
「都都ちゃんたちが知らないのも無理はない。でも……、その犯人を今言ってしまうのは興ざめだな。来月になったら話をしてあげよう」
「えー? なんでここでまた妙に間を持たせるのよ」
「僕は探偵でもなんでもないんでね。謎を解くことよりも重要なことがあるんだ。それよりも、来月のその、水島先生とやらが出る予定だったコンサートのチケットを先生に頼んで貰ってきてくれよ。どうせタダだろうと思ってたら2200円もしやがる。報酬代わりに、それくらいはいいだろ」
「えぇ、まぁそれは構わないけど……」
 最初からそれが狙いだったのか?
「でも、私たちはもう行かない予定にしちゃいましたよ?」
 都都が青木さんを斜めにのぞき込む。先生が出ないというなら、わざわざ出向く必要もないと思っていた。
「えー? そうなのかい? きっと面白いものが見られるから是非一緒に行こうよ。菱谷君もどうだい」
「俺は遠慮しておきます……」
 菱谷君はそもそもクラシックをよく聴くわけでもないしね。
「ねぇ、それより青木さん、なんで今もう一つの幽霊の話してくれないのよ」
 しかめっ面をして、斜め上を見てうなる青木さん。
「強いて理由はないんだけど。……うーん、敢えていうなら、今の今までこの問題の種明かしを引き延ばしてたのと同じ理由だよ。よけいなお世話かもしれないけどね」
 煙に巻くようなことをいう。
 それを境に、誰もこれ以上追求しようとするものは居なかった。私は何がなんだか色々なことが整理できていなかったし、菱谷君は厭世的なオーラを振りまくのに忙しい。話聞いてたのかも怪しい。
「まぁ別にいいわ。今日は真紀の慌てふためく姿が見られてそれだけでも収穫だったし」
 抱えた私の腕をさすりながら都都が言う。すると、これを機と見たのか菱谷君が席を立って、
「あ、じゃあ俺もう帰ります、帰りますんで」
 逃げるように店から転がり出ていく。お会計は、と思ったけど、彼のコーヒーは青木さんと私でニコチンとタールの海にしてしまったから請求するのも可哀想だろう。青木さんに払わせよう。
 彼も被害者……だったのかなぁ。彼のことを考えられるくらい整理が付いたら、黙祷でも捧げてやった方がいいのかもしれない。振った女の取るべき態度というものがいまいち分からない。
「私も帰るわ。やっぱり真紀は可愛いわね……色々と」
「馬鹿にしないでよ。アンタはそりゃ告白されるのに慣れてるだろうけどさ」
「そういうことじゃないわよ。悔しいじゃない、あの演奏会のCDで菱谷君は貴女に惚れたわけでしょ? 私の演奏より貴女の演奏の方が魅力的だったってことよ」
 菱谷君の趣味に合ってただけじゃないのかなぁ。私は今でも都都の方が私より上手いという結論というか事実というか、信じているので、やはり素直に喜べないのだ。
「あ、でも、別にそれに嫉妬して、こんな嫌がらせめいたことしたんじゃないのよ。……信じてもらえはしないだろうけど、貴女も彼氏とか出来たら人並みに幸せなのかなぁとは思ったの」
 疑ってるわけじゃない。別に怒ってもいないしね。ホントにね。
 でも、そういうことは目を見て言わないとダメだって教わらなかったのかな。
「何よ、私に彼氏なんか出来たら泣いて寂しがるくせに」
「そしたら私だって彼氏作るだけよ」
 手をひらひらと振って、誤魔化すように笑う都都。
 その手の薄っぺらい動きに私が感じたのは優越感なのか劣等感なのか愛情なのか、それに結論を出すのも、保留ってことでいいよね。
 「それよりも今度、私にも貴女のピアノを聴かせてよ。それとも、うちのピアノで弾く?」
 疑問で会話を終わらせておきながら、都都は返事を待たずにさっさと店を出ていってしまう。ゆるふわロングの愛されヘアーを左右に揺らして、背も小さいくせに歩幅が大きく、まっすぐ前を向いて歩く堂々とした後ろ姿に、私は誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「……今度ね」