■400■

◇400

400字という原稿用紙一枚分の短文を書き続けることで
日記代わりにのうみその足跡を
まあ、アイデアは色々なサイトからのパクリです。



■17/2/2012
気の利いたことも言えなければ特に優しいわけでもなし何をするにも頼りない感じのある私なんかと一緒に居て何が楽しいんだという非常に素朴かつ第一義的問題があるのだがまぁ例えば恋人がいる人間を眺めてみてもこいつと一緒に居てこの人はなにが楽しいんだろうみたいなことは思うし逆に考えてそれを援用すれば別段なにか客観的に優れたものがなくともなにかこう言葉にはできない相性みたいなもので一緒にいて楽しいとかそういうのも間違いなく世の中にはあるんだろうしひょっとしてそういうものとかを曲がりなりにも感じてくれてるならありがたいしめっちゃ嬉しいし言葉を雑駁に選ぶならば運命なのでは!? と高度に神学的な観点から捉えるこの思考の単純化と問題点からの目の逸らし方をこの国では俗に思い上がりと呼びますがまぁこういうのはそもそも自分を甘やかすために使うわけであってもちろん出来うることなら向上心を持ち続けたほうがよろしいわけだ。
(400字)


■15/1/2012
あけましておめでとうございます。
更新しなさすぎて広告出てきたので更新します。

昨年、小説を書いていなかったわけでは全くないんですがぜんぶネットじゃなくて所属サークルの部誌で公開してるのでこっち死んでますね。いや、なんか書きたいんですけど。書くか。

ぜんぜんハッピーエンドが書けませんね。どうやったって人間の幸せのパターンなんて限られてるので陳腐になるし陳腐でも魅せられるくらいの実力もないですし。
バッドエンドとか嫌な味の残る終わらせ方実際全く大したことないのに大したことやった感出るし、自分まで騙されるし、いくらでも思いつくし、どうせしょぼいの書くなら暗いの書いてしまう気持ちはよっく分る、よく分るがそれではダメなのだ。甘えるな。
平山夢明みたいなのがあっち方面で到達点なんでしょうけどわたしが平山全然好きになれないのがアレですね。アレのよさは割と本気で理解できないので誰か今度教えてください。煽りでなく。
(400字)


■6/10/2012
基本的に何か思いついたら書くので何も思いつかなかったら書けません。
にしても。最近苦手な人はいっぱいいるものの、考え方とかが違うだけで、たぶんこの人嫌いなの私だけだろうな……ってのが分かるだけにアレです。社会的に考えてどう見てもクズみたいな人には全く出会わないので恵まれてるのかもしれません。
*しかしながら*そうやって全くのクズに全く出会わないために伝聞でクズの話を聞くと非常に不安になります。いつかどこかで遭遇するんじゃないかとか、自分が実はそのクズなんじゃないかとか。
あと、私の目の届く範囲にクズ人間が居ないのにクズ人間に悩まされている人間を見るとなんだか非常に申し訳ない感とかありますね。

それと最近びっくりなんですけど、人間が嫉妬するのって他人の良い状況だけじゃないんですね。好きな人がクズに困らされてると、自分までクズに困らせられたくなるこの感じ、なかなかに未知です。不可解です。わけわからん。
(400字)


■20/9/2012
書くの忘れてた。えへ。
というわけで今回は持続力のお話し。
例えば、何か大きめの計画を思いついたとします。長編の小説を書くとか、今までやったことないことに手出すとか。それ、宣言しますか?
私は無理ですね。どうしても途中で挫けそう。挫けたときに事前に宣言してたら逃げられないし。だから宣言しないで始めて、完成したら唐突に晒してびっくりさせよーとか思ってたら結局挫けて誰にも知られず終わるパターン。これが多い。
ので、最近は無理やりハードル上げてます。受験直前になって受験の話をtwitterでし始めたのもそういう関係です。
それでなんとなくうまくいってたんですが、今月頭曲作るとか言って結局できませんでした。一言も触れてないけど結構アレ自己嫌悪。
今は東方キャラwin版全部のドット絵描きたいとか思ってるけど、それも宣言できてない。
だからちょっと現実的な宣言をしてみます。16*24でとりあえず5キャラ分書きます!
(400字)


■6/9/2012
っていうかなんかアレです。ネット上の人たちが形を持って実在する人間であってほしくないと言うか。曲書いたり文章書いたりプログラム書いたりするなんかそういう概念であって、人間であることを認めたくないと言うか。
のでなんかこうオフ会とかそういうので実在する人間であることを意識させられるのとかもっての他だし、写真うpもそうだし、あと歌ってみたとかそういう声が絡むものも生身の人間であることを意識させられて実は苦手です。

あー。というか書いてて分かりましたけどアレですねコレ。声とか外見以外の部分だけで人と関わり合いたいと思ってるってことは、つまり声とか外見に私が自信ないんですね。とにかく会いに行けない系で常にありたいと願ってます。実際に人と会うのが怖すぎる。
ネットと現実の区別をハッキリ! その点ネットでもリアルでも付き合いのある人は楽だ……。
ネットで仲良くなった人とリアルで会うとか考えらんね……こわ……。
(400字)


■5/9/2012
女性が女性らしいことをネットで口にするのがどうにも苦手。
化粧の話だったり、服装の話だったり、よく着てる物写真に撮ってアップロードしたりしてる人居るじゃないですか、ああいうの。やってる側に大した意識がないのは分かってるんですけどね。
いやまぁ、私が男子校だったので単に慣れてないっちゃそうなんですが。
というか。例えばミニスカとかニーソの話になった時に「○○ちゃんがそれ穿いたの見てみたいなー」みたいな流れになるのがどうにも耐え切れないと言うか。
ネット上では無性な感じの付き合いが妥当かつクールだと昔から思い込んでいるので、突然現実世界っぽい会話が再現されてしまうのが逃げ出したい。そりゃ私だってリアルで会った人の服装くらい褒めますよ(いや、褒めないが……)。
ぶっちゃけネット上での人全員性別不明の状態であってほしいってよく思う。いらなくね? 性別。女性とみれば反応する男を見てるとなんか無性に悲しくなる。
(400字)


■2/9/2012
好きなものが一つ見つかったらずっとそればっかで他に手を広げようとする気力があんまり起きない。人退EDだけ1500回くらい再生してる事件はまぁ極端としても、コイノシルシだとかプーランクのクラリネットソナタだとか、なんだか気に入った曲があるとそればっかり一か月くらい聴き続けてしまって同ジャンルでの好きなものを探そうとする努力に欠ける気がします。
ので、どうにもよく自己紹介で見るような好きな作曲家とか作家とかを羅列してあるのを見るとよくもまぁそんだけ好きなものがあるもんだというか、よくもまぁそれだけの作品に少なくとも一回以上目を通したもんだ……と感心してしまいますね。
いやまぁ、目にする耳にするだけなら私もたぶん人並みにはいろいろやってるんでしょうが、なんだろう。別に偏愛型というわけでもないんだが。もっと色々手放しで好きと言えるものが増えたらいろいろな人と共通項も増えて会話の種にでもなるんだろうか。
(400字)


■31/8/2012
このように(どのように?)語りかけにはかなりのレジスタンスが存在するので、それを押しのけて話しかけてくる人間の方がより好きになるのは単純接触理論的にも当然と言えば当然なんですが、それでも私は話しかけられるたびに話しかけてくれなかった色々な人のことを考えてしまいます。ただ単に無視したのか、話を聞いたうえで無視したのか、何か言いたいことはあるけど黙ってるのか? ことばは万能のツールじゃありません。発言されなければなおさら何の役にも立たないゴミクズです。
ことばが弱っちいことを理解してるからコンダクタントな発言で人からことばを集めて手軽に自尊心を満たすのはありがちな悲劇ですけどね。発声されなかったことばに思いを馳せるにつれ、やっぱりコミュニケーションは難しすぎると思わざるを得ないわけですよ。うぇー。

えっ? 話しかける勇気がないだけじゃないかって? そうなんじゃないですかね。それが真理だと思います。
(400字)


■30/8/2012
言わなきゃ伝わらないってのはたぶん思ってるより二周以上複雑な意味があります。
例えば。よほどの病気が発覚した人が居たとします。たくさんの人がお見舞いを言います。あなたは言えません。お見舞いを言うキャラじゃないのかもしれないし、病気にかこつけてお見舞いを言って好感度を稼ぐのが卑怯で軽率だと考えてしまうのかもしれません。
別に病気に限りません。身内の不幸だとか、バイト先の愚痴だとか、痴漢被害だとか、誰かにお薦めを紹介してほしいだとか。もっと次元を下げれば誕生日おめでとうだとか挨拶だとかそういった類の事。
そこで何か言わなきゃ、何も伝わりません。色々と「むしろ軽い気持ちで慰めないほうが相手のためだな」とか「ここで話しかけてもなんか話しかける機会を狙ってたみたいで露骨だな」とか考えても考えすぎてもそんなことは全く相手には伝わらないのです。

でも、そこで何も言わないあなたを好きになってもらいたいんでしょう?
(400字)


■29/8/2012
高校の時に言われた「君の文章は読みにくいけど独特の面白さがあるね」という言葉が今でも忘れられませんね。えへへー? そうー? みたいな。でもあれ以来言われないのでやっぱり何かの間違いだった可能性があります。私は私の文体好きなんですけどね。この独り言とも語りかけともつかない感じ。別に優れている点があるとは思いませんが、誰にも真似しづらい感じがお手軽にオンリーワン感出してます。いや、案外簡単に真似できるのか? やられたことないんでわかりません。というか、誰も真似できないんじゃなくてしたがらないだけなのか。まぁそれはそれで。私の書いた文章は無記名でも一発で分かると評判でした。というか悪評でした。

そして好きな人間と好きな文体が必ずしも一致しないってのも面白いですよね。あの人のことは好きだけどあの人の文体はちょっと大人しすぎてつまらないみたいな。
固めの文体が要求されるとこでもふざけちゃう人が好きです。
(400字)


■28/8/2012
なんか最近私に構ってくれる人が多すぎて引く。大体この前自分でも設置したことを忘れてたweb拍手にコメント来ましたからね。
あと部誌に載せた原稿が褒められました(自慢)。いぇー。
いや、それはどうでもよくて。面白いもの書いたから褒められるのは因果関係はっきりしてるからいいんですよ。面白いかどうかは知りませんが。知ってるけど。
そうじゃなくて、なんもしてないのに話題に出されたときとか、えっなになんで私のことに脳の一定以上のリソース割いてんのバカじゃないのとか思っちゃう。
んー。やっぱよく分かりませんね。特に何かに定評がある訳じゃないし。前とやってることはなんら変わりないつもりなんですが。モテ期ですかね!? そんなわけないだろ悔い改めよ。

と、よく考えたらただ単に私が最近人に媚び売ってるだけでした。あざといなさすがジェスパさんあざとい。ところでなんで私最近なんでもかんでもこう赤裸々に語ってるんでしょうね。
(400字)


■27/8/2012
っていうか400自体こういう脳内で管巻いてるぐだぐだな論を垂れ流すために作ったんですけどね。意外とこういうアイディアは瞬発力に頼るところがあるので思いついたとたんに書かないとすぐにぐずぐずになってしまって使い物にならないことが多いらしいことが分かって、結局アホみたいなことしか書いてませんね。ぶっちゃけ一番最初に書いた言語学の話が一番面白いのでは? はい。
まぁ大したことない人間の口から大したことある発言が出てくることはないとは言いませんが稀ですからね。気長に待ちましょう。サルだってキーボードをたたき続ければシェイクスピアの作品を紡ぎださないわけではありません。

なんかスペースが余ったので眼鏡っ娘萌えについて語りたいと思います。実際眼鏡萌えの根源に眼鏡=非モテの象徴→私にもチャンスが! みたいな下賤な発想があることは否定しませんがそんな低い魂のステージはもうとっくに抜け出してああっスペース足りな
(400字)


■26/8/2012
とまぁこんな感じで抽象的な議論めいたものを一人で作るのが好きなんですが、こういうのイデオローグって言うらしいです。最近人づてに知りました。
いやまぁ。昔っから独り言というか何の役にも立たない空論を一人で考えるのは好きだったんですが、っていうかぼっちにはそれくらいしか娯楽がなかったんですが。
何がアカンってこの遊び方続けてると牽強付会郢書燕説断章取義ばっかり得意になってしまって、ただ単に感情先行のことに適当に議論をくっ付けて自分に納得しやすい形にしてしまうのがアレですね。別段論理的でもないことを論理的だと思い込むのは危険です。「A=Bであるという公理系を採用しているためA=B」みたいな証明は証明じゃないですね。
あと、やたら立論に空疎な自信を抱いて、砂上の楼閣的な論に固執して周りの意見の違う人をいきなり嫌いになるのが痛々しいのでやめたいですね。別に世の中で真面目に思考してるのは私だけではないのに。
(400字)


■25/8/2012
昨日の話題を引き継ぎます。というかこんなんだったら400字にこだわる必要ないわ(真理)。
で、ネット上ではなぜアブストラクトな関係に終始してしまいがちなのか? ということについてですが、これは単純に文字上の関係だとインプットのクオリティもクオンティティも限られてしまうから、というのが大きいように思えますね。無駄に横文字を使うとバカっぽく見えますね。実際会って会話することに比べると文字は発言する側の恣意も介入しやすいし。キーボードは触媒の一種。
あとアレです。ネット上では特定の話題に終始することが求められますからね。twitterで言うところのクラスタです。絵師はイラストの話をするし、DTMクラスタは音楽の話をします。これがいけない。何故自らを不必要に捨象しなけらばならないのか。自らの取り扱いを楽にすることは確かに関係性を楽にはしてくれるが。
と、どうにも発言内容の一貫しない自分に対する自己弁護。
(400字)


■24/8/2012
いやしかし。良く考えたら私ってば文学とクラシック音楽を愛する眼鏡青年で東大生とかもうこれ乙女ゲーの被攻略キャラのプロフィールと勘違いされてもおかしくないですよね。とっとと攻略されたいです。アニメイトは早く私の許にドラマCDとキャラソンの収録許可を取りに来るべきです。えっ? 鏡見ろ? はい。
というのはまぁ冗談ですが、ここで今行ったことを、捨象といいます。
捨象というのは、概念を抽象する際に不必要なあるディテールを切り捨てることを言います。つまり抽象と捨象は常にコインシデントなわけです。
じゃあ切り捨てられた要素はどこに行くのか? どこにも行きません。そこに/底に残り続けます。だから抽象論は上滑りに終わることが多いし、中傷にもなりやすいのです。
抽象はあくまでも論のための便宜上のものと割り切って、せめて実際の人間関係ではディテールを切り捨てないようにしたいですね。それがネットでは難しいのですが……。
(400字)


■23/8/2012
アッー全然書くの忘れてました。てへっ。
世間じゃ夏休みも終わりムードらしいですね。私はあと一か月残っています。
どうにも夏休みの思い出を振り返ると、そういえば楽しい記憶なんてほとんどない気がします。暑いし。まぁ冬休みは寒いんですが。春休みは暑くも寒くもないですが楽しくなかったですね。こりゃだめだ。話になりません。
あっでも中三の夏休みは楽しかった気がします。ちょうどDTMを始めた時期で、ずっと曲作ってましたね。夏らしい楽しみ方では全くないですね。全然テーマ性を絞り切れてませんね。

まぁでも夏の空気感は好きです。民宿の二階の部屋でクーラーも効かないので扇風機を回しながら泥のように転がっている妄想ならよくします。妄想です。あとその妄想の時は隣に女の子が居ます。当然ですね。むなしい。水分子が多すぎて視界を遮ってるんじゃないかと錯覚するほどの湿度の迷妄感はほかの季節にはないですね。皮膚に纏わりつく罪悪感!
(400字)


■4/8/2012
突き詰めればまぁ他の誰より自分のことが好きなせいとも言えるんですが。
マイナスなことといっても私の中では整合性が取れてるし間違ったことは言ってないと今でも頑なに思い込んでいるので、たぶん私が人に合わせるより私に美学を合わせてくれる人を探してるんでしょうね。めんどくさいヤツめ。
胡乱で排他的な言説をまき散らすことによって周囲の人間をふるいにかけてるわけです。何様のつもりなんでしょうか。そろそろ胸が痛くなってきたんですけど全然400字に達しませんね。トラップ!
いや、まぁ。単なる嫉妬なんですけども。
自分自身が人気者で承認欲求常に満たされてたらこんなこと考えませんもんね。適応規制の一環なんですが。
最近何がタチ悪いって、私がこういう後ろ向きな発言を喚き散らすと若干ながらウケることなんですよね。私に何が求められてるのか分らない。君たちの代わりに暗いことを考え続けるのもまぁやぶさかではないですが。楽しいし。
(400字)


■1/8/2012
いつものように嫌いな人や物について迂遠な皮肉とも嫌味ともつかぬ美学めいた批判を書こうとして、なんでそんなことばっか書こうとしてるのか気になる。
もちろん、好きな人とか物についての感慨がないわけじゃない。むしろ、日ごろ考えてることを分析すれば好きなことについて考えてる時間の方が長いだろう。
なのになんでマイナスな事ばっかり喋ってしまうのか? 性格の問題だけではあるまい。
理由を一つに絞ることは難しいものの、挙げるとするなら、反応性の問題があるだろう。
好きなものについて述べて、それがスルーされると悲しい。
でも、嫌いなものについて述べて、それがスルーされても何も悔しくない。むしろスルーされて当然だと思える。反応されたら、こんな話題にも反応してもらえたと喜べる。
うわぁ。後ろ向きです。
ではなぜ、マイナスな事ばかり書いてしまうのかはさておき、どうして黙ってられないのか?ということで続きはまた明日の400で。
(400字)


■13/7/12
媚を売りたいので人が書いてる小説を褒めたいのは山々なんですけど、素人風情が書いた小説とかクソつまんねーんですよね。どれとは言えませんが。
まぁインターネット上で褒め称えられるのは内容ではなくコミュ力ですからね。というか本人の人気ですからね。いやそれはいいんですけど。僕のがどうこうとかじゃなく、クソつまんねー小説もどきが評価されてるとなんだか私だってそうやってすべてを投げ打って媚び売りたくなるよって叫びだしたくなるだけだけど。自分の価値判断が好き過ぎるので曲げられない。好きな人は大抵嫌いな小説を書く。
地に足がついていて、一度以上視点や立場の転換があって意外な真実が明らかになり、なおかつ可愛い女の子が出てくる小説が僕は好きなんです。
ぶっちゃけポエットじみた短文に評価を与えることは不可能ですし、異世界に入り込んでどうたらこうたらとかいうのもどうしようもないし、まぁ、商業作品を読むからいいんだけど。
(400字)


■24/6/12
もはや毎日更新を目指していたなんて口が裂けても言えないレベルになってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか?

本を薦める、という行為には一体どんな意味が込められているのでしょうか。
考えてみますと、「私はこんな本を面白いと思うよ」といった自己表現という解釈も出来るでしょうし、共通の本を読むことによって話題を作り、会話したいよというような解釈も出来るでしょう。しかしこう考えると非常にコミュニケーション的ですね、推薦って奴は。
もちろん悪いとは微塵も思ってません。お薦めを受ける側は、「あなたの意見なら聞くよ」という意思表示が出来るわけですし。win-winの関係って奴ですかね。
そしてもう一つ看過できないお薦めの側面が「布教」。
もう完全にその作品の虜になってしまい、読んでない人間を啓蒙したいとすら思ってしまう状態がこれです。
というわけで、レジェンドとスワロウテイルとアラビアの夜の種族読みましょう?
(400字)


■14/6/2012
いやほんといっそサトラレになりたい。

というのはおいといてですね、今日はtwitterの話です。
いやマジでいろんなアカウント見てきましたけどね?
おやありおはありりだてらてらありをまめにしつつRTとふぁぼで媚を売り、ときたまリプライでかわいいと言うことによって好感度を上げていく作戦?
こういうのもしかしてtwitter上では基本戦略なんですかね?
こういうの全部受け付けない私は多分大学生として欠陥品というか失格なんだと思います。大学生協で売ってる追加パーツを買うことによって君のキャラクターの完成度はうなぎ上り、次の大会に備えよう!
いや…別に、まぁやってる側は大して意識なんかしてないでやってるんでしょうけど。どうしてこういうのが容認しがたいかって言うと、他人の意識を引きたいならなんか素晴らしいことをするなり言うなりしないといけないみたいな思想がこびりついてるだけなんですけど。
ハートを磨くっきゃない!
(400字)


■9/6/2012
なんというか惚れた弱みって奴ですかね。

まぁそれはおいといて、
人と話を合わせるために本読んだりアニメ見たりすんのが苦手です。
いやだって、なによりそういう趣味を人と話合わせるためにやるってのがまず哲学と合わないってのもあるし、それよりも、人から薦められたものが微妙だった時に私それをオブラートに包んで言えないんだよね。双方にとって不幸なのでやめていこう。
でもなんか最近はいろいろと新地平が拓け過ぎてなにしたらいいかよくわかんないので誰かに次はこれを読めとか導いてもらいたい気分はある。いや、その前に勉強しろ。単位を取れ。大学生は単位を取るのが仕事だ。さもなくば死ね。いやまぁそこまでは思ってないですが。
ってゆーか私も人になんか薦めたときに相手がつまらなかろうが面白かろうが読んでくれて話合わせてくれたらそれはそれで嬉しいし考えすぎか。
まぁとりあえずマリー・ルーの「レジェンド」が面白いので読んでください。
(400字)


■1/6/2012
私は人文系志望だが、よく「人文ってなんの役に立つの? 作者の気持ちでも考えてろ?」って言われる。うるさい。理系はキムワイプ食ってろ。
海外ではこのような人文蔑視というのは少ない。いや、別に海外ではこうだから私が正しいみたいなことを言いたいのではない。海外の例を引くことで日本のみに人文蔑視の風潮があることを理解できるのである。
例えばヨーロッパ。人文学を学ばない事には、言語的にも人種的にもある程度のつながりがある彼らは、国境線を定めることもできない。自国のアイデンティティの確立に人文学は彼らの必需品となっているのだ。米国では、自国の歴史の浅さへの嫌気が人文研究へのモチベーションとなっている。
翻って日本では海の障壁がアイデンティティの形成を妨げた。
よく「自国のことを知らずに何がグローバリズムか」と言われる。自国のことを深く知り、アイデンティティと健全な愛国心とを養うことの、何を恥じることがあろう?
(400字)


■31/5/2012
携帯電話というヤツが苦手である。
今まで全く携帯電話のメールや通話といった機能を使わなかったのだが、さすがに大学入ってからそこそこ来るようになった。これが、ムカつく。
パソコンのメールはいい。自分で確認するタイミングを決められるからだ。しかし、携帯のメールは届いたことをやかましくがなり立てたりバイブレーションすることで知らせようとしてくる。大きなお世話である。おまけに電話なんか、おそらく相手方は「携帯に電話かけたら出るだろう」みたいに考えてかけてくる。こっちが電話に出たい気分かどうかなんておかまいなしである。
なんというか携帯電話は便利ではあるけど、精神衛生上によくない。無視を許さない脅迫性がそこにはある。
まぁ、なんですか、その、結局電話もメールも無視することがままあるんですが。許してください。その、人間社会に回帰するにはまだまだ時間が必要なようです。
もっとこう、飄々と生きていきたいものですね。
(400字)


■28/5/2012
最近アホみたいに鉄道関連のドジをやらかす。
中央特快と間違えて通勤特快に乗って車窓から三鷹駅を見送ったりですとか、池ノ上では起きてたにも関わらず駒場東大前を寝過ごし渋谷まで行ったりですとか、調布で急行に乗り換えたと思ったらなんか知らんが橋本に到着してたりですとか、隣の車両に移りたいが車両間のドア付近に女子高生様が座り込んでらっしゃるから一度ドア出てから回り込もうと思ったら目の前でドアが閉まったりですとか、京王井の頭線降りてから埼京線のホームに辿り着けないですとか(これは仕方ないと思う)、まぁそういったことがにちじょうちゃめしごとなわけです。大まかに見れば、吉祥寺で降りやしないのに中央線と井の頭線を組み合わせた定期を作ったのもアホです。南武線と京王の組み合わせの方が安いです。
で、まぁ理由は明らかで今まで自転車通学で、急に電車乗るようになったからなんですが、これって慣れたら治るものなんですかね。
(400字)


■25/5/2012
まー聞いてるとですね、美女に踏まれたいだの足舐めたいだの巨大少女(ショタ)の太ももに挟まれて窒息死したいだの後輩に蒸れたストッキングの匂いを無理に鼻先に持っていかれながら罵られたいだの変態的欲求を口にする人が多いと思うんですが、いや、今脚関連の欲求ばかり例に挙げられたのは別に偶然と確率の悪戯とかではなく単に私の嗜好のせいですが、実際にこういった行為が自らの体に行われた場合に、本当に興奮する人間ってのはそんな多くないような気がします。
いや、なんというか確かに最初はそのシチュエーション事態にドーパミンするかもしれませんが、途中から冷静になるというか、現実感取り戻してしまうと言うか、実際後輩に罵られたらたいていの人はムカつくと思いますし、窒息死しそうになったら興奮どころじゃないと思います。
ですのでやはり、ああいった欲望の数々は実現しないことを前提としたファンタジーとして捉えるのが適切そうですね。
(400字)


■24/5/2012
宮部みゆきのレベル7が実写化されると聞いて、非常に、ひっじょーに楽しみにしているのがこちらの。しかし、映像化したところであの原作全体に漂う靄のかかった視界とかうだるような暑さを再現できるのだろうかとも思って公式ホームページを見に行ったんですが。
「大胆な改案により原作以上のスケール感と現代が抱える問題に鋭く切り込むメッセージを加えて新撮する」
え、えーーー?
い、いや落ち着こう。原作から改変されてよくなった試しもある。えーっと、たぶんある。探偵ガリレオとか私はドラマも好きだよ。うん。最後の二話は蛇足だったけど。
それにしても、えーーー……。レベル7は小学生のころに読んで、めちゃくちゃハマったというかこのあたりから読書を好きになり始めた記憶があるのでかなり思い入れの深い小説なんですが(知ったこっちゃない)、大丈夫だろうか……。第一週目の理由もかなり原作から外れててつまらなかったので、正直言うと不安。
(400字)


■23/5/2012
突飛なアイデアやストーリーを考え付く人や、その想像力のことを評して「想像力の羽を広げる」という表現が使われることがある。私からすれば、その表現もよほど羽を広げているように思えるが。
だが少し立ち止まって考えてみると、想像力には本当に羽が生えているんだろうか? 読者の側からすれば確かに全く予想もつかないようなものが提示されているように見えるため、想像力に「羽」が生えていて、一足とびに新しいものを連れてきたように感じるかもしれない。
ただ、実際に発想をした人間の方からは、そのような感想は出てこないのではないだろうか。目新しい発想の殆どは、おそらくだが身近なことや、わかりきったこと、常套的なことの細部を逐一改良していくと言う、地道でとても「羽が生えている」とは評することはできない小さな思いつきの塊なのではないだろうか。

天からアイデアが降りてくることを期待せずに、粘り強く想像力を地に這わせるしかない。
(400字)


■22/5/2012
N.チョムスキーにより始められた言語学上のテーマに生成文法説というものがある。
人間の脳には(正常ならば)普遍的な文法が生まれつき存在し、幼児がどのような言語でも驚くべき速度で習得できるのは、周囲の自然言語が普遍文法からの発展であるからだ、とする説である。
では、周囲に英語も日本語も、いかなる言語も存在しなかったなら、幼児は普遍文法からどのような言語を生み出し、話すようになるのか?

13世紀のシチリアに、フリードリヒ2世という君主が居た。この君主は好奇心旺盛なことで当時から有名なのだが、あるとき上記のような疑問を抱き、幼児を使った実験を行った。幼児を集め、その養育の際全く言葉を使わないよう召使に指示したのである。

結果、全ての幼児は一言も発することなく死んだ。
やはり人を人たらしめるものは言葉だったのだ。そして、その言葉は全くの無から自給できるものではないのだ。
人間であるためにも、言葉を摂取しよう。
(400字)