ユンデフレミング

4.-打鍵機構-


 私も昔はピアノを弾いていた。小学校に入る少し前頃からだろうか、当時NHKの教育チャンネルでやっていた音楽番組で、私はたいそうバイオリンという楽器を気に入ったらしく、親に「わたしもあれひいてみたい」などと可愛いことを抜かしたらしい。当然、バイオリンのレッスンなど、超富裕層向けの値段設定で、代わりといってはなんだが、ということでまだ庶民的なお月謝のピアノ教室に通うことになったらしい。らしいらしいと曖昧な記憶しか残っていないほど昔の話なのだが、「バイオリンもピアノも同じ弦楽器だから」と説得されたのは鮮明に覚えている。今の私から言わせれば、機構こそ弦楽器のそれであっても、ピアノは疑いなく打鍵楽器であり、あぁ、いいように扱われていたなぁと腹立たしくもあり、ピアノだけでも習わせてくれたことに感謝もしたり、まぁ幼いときの淡い記憶である。
 どのような態度で練習に望んでいたかは、概ね「ピアノの練習を嫌がる小学生」というある種の類型から推測される通りであると思っていい。練習に時間を割かれ、友達と遊ぶ時間を減らしてまで何をやっているんだかと思いつつも、自分から言い出したことだし、ピアノを弾くのが楽しくないわけでもない。まぁ練習には休まず通うのだが、その足取りはけしてうきうきと弾むようなものではない。だが、行ったら行ったで練習は真面目にこなし、宿題が出たらそれもこなす。あの、音楽室で鳴っていたピアノの幽霊の正体のCD、都都が出ていた演奏会のものだったが、私もあれには参加していた。なんともまぁ、テンプレート通りだ。
 で、この中学も一応進学校であるからにして、入学試験がある。倍率も二倍に届かないような試験ではあったが、私も小学六年生の時には塾に通い始め、ピアノのお稽古は一時お休み、ということになった。最後のレッスンでは少しだけ胸にくるものがあったとはいえ、塾に通い出すとそちらで友達が出来、すぐにピアノのレッスンのことは思い出さなくなった。その程度の存在だったのだろう。ちなみにその友達はこの学校の受験に落ちた。
 だが、中学に上がったら、ピアノは再開しようと思っていた。というのも、私が通っていたピアノ教室で、同じ学年、いやもう少し広げて中学生くらいまでなら、私よりも上手に演奏する者は居なかったからである。当時の私は自分のことをいわゆる天才型とでも思っていた節がある。ただものをこなすのが器用なだけだ。今からでもタイムスリップして張り倒しにいってやりたい。
 そして、入学式の日、私は悪魔に出会った。
「真紀、眉間にしわが寄ってるわ。青木さんの真似かしら?」
 今けらけらと笑いながら私の目の前で惜しげもなくヴィルトゥオーソを披露する都都である。そして本人に全くその気はない。
「別に……。あんたは幸せそうでいいわね、って思っただけよ」
 入学式の日、玉のように可愛い私は入学式が終わった後、何を血迷ったかいや血に迷ったというか道に迷ったのだが、校舎の中で迷子になり、何に導かれたのか音楽室まで来てしまっていた。旧校舎の、しかも隅の隅である。神か悪魔か準ずる何かの思惑が働いたとしか思えない。
 そこで、私は都都の演奏を初めて聞いた。
 曲目は覚えていない。と、いうより曲名を知らないのだ。東欧風の響きのあるソナチネだったようには思うが。
 入学式後のホームルームの時間は、とうに過ぎていた。だが、私はそこに釘付けにされて動くことが出来なかった。
 都都の演奏は私のものと一線を画していた。いや、今までにあったすべての演奏家とも違っていた。
 一音一音が丁寧で、ミスなんて絶対にしない。そして、それでいて細部に捕らわれることなく、自然で流麗で、天衣無縫だった。神は細部に宿るというがあれは嘘だ。神はすべて神だった。
 歌うように、自由に。
 私は、しばらく息も忘れて演奏を聴いていた。鳥肌が立っていたように思う。
 結局、三楽章すべて聞いてしまった。
 そして、弾き終わった都都はこちらを向き、すべて分かっているわよ、とでも言いたげに微笑んだ。
 私たちはその日、友達になり、私はピアノを弾かなくなった。
「そりゃ幸せよ。右を向けば貴女が居て前を向けばピアノがある。これ以上なんて想像も出来ないわ」
 都都はいつも通りピアノを弾き、私は溜息を吐き、いつも通り本を読むことにした。最近読んでいるのはミクロ経済学の観点から見た最適な資源の分配方法について書かれてある本だが、正直なところ数式が多い上に(私は数学を大の苦手としている。タイムマシーンが開発されたら、真っ先にユークリッドとフワーリズミーを亡き者にしてくれる)、別段経済学に詳しいわけでもなく、なんとなく図書室に寄り何となく経済学コーナーに寄りといった風に、なんとなくを十回くらい繰り返して選んだ本なので、特に必要性も興味も感じず、有り体にいえば暇つぶしだった。
 結局のところ、都都には今もこうして無邪気にピアノを弾いているように、あの日私の目の前でピアノを弾いたことには特に私の心をへし折ろうといった意図もなかった。
 それはまぁ当然、初めて会った人間のピアノの腕前を見抜いて、その上で心をへし折ってやろうなんていう人間は居らず、そもそもアイツがピアノを弾いているところに私が乗り込んだのだ。あ、結局その後二人ともホームルームに遅刻したことを初日からひどく叱られた。……そのおかげで仲良くなったともいえるのだが。
 都都のプレイスタイルは私の物とは一切違っていた。私がこれこれこういう理由でこの声部は目立たせて、二回目の主題は奏法を変えて、などとピアノの先生に習ったとおりにごちゃごちゃとものを考えながら、全体をダメにしてしまっているあいだに、都都はそれをすべてセンスで飛び越えてしまったのである。相手をする気にもならない。
 別に私の先生の教え方が下手だったとは言わないし、私の飲み込みが悪かったわけでもない。絶望的なまでに才能の差であった。
 都都の演奏を聴いた後、数日間はコンプレックスに悩まされた物の、私は何か吹っ切れたような気がした。あれを聴いた後だと、どう演奏しようとしても都都の真似になり、そして、一割も真似することが出来ないということに気づくのだ。
 本気で楽しんでいる人間の前にあって、私はその対比として自分がいかにピアノをどうでもいいと軽視していたか、それに気づかされたのだ。それまでは、なまじっか器用に弾けていたことや、比較する相手も居ないために自分がピアノを好きかどうかなんてことには目を向けなかったのかもしれない。
 そして、ピアノを弾かなくなって今に至る。
「で、どうせ貴女は今、水島先生のことを待っているんでしょう?」
 そう、そんなことより今はそっちの方が重要なのだ。
「うん。準備室の中をちょっと調べさせてもらおうと思ってね」
「そんなことしても無駄だと思うけどなぁ。幽霊のやったことだし」
 白々しい!
 都都に聞いても無駄なことは分かっているが、それでも一応ということで聞いておく。
「で、アンタは誰が犯人だか分かってるのよね?」
「しーらなーい」
 ダメだ。役に立たない。不毛な会話を続ける気もしない。力無く頭を振り、廊下を見やると、職員会議を終えたであろう水島先生が歩いてくるのが見えた。この機を逃すまじ。
「あ、先生先生! お聞きしたいことがあるんですよ」
「何かしら。私に答えられることだったら」
 水島先生がふわりと振り返る。穏やかな物腰と洗練された身のこなし、あと黒髪ロングとタイトスカートが男子生徒に大人気。後半に行くほど比重が大きい。
「えぇ。すいません。お時間はあまり取らせませんので。……準備室の中でお話したいのですがよろしいでしょうか?」
 先生は快く承諾してくれた。以前都都が持っていたものと同じリングにたくさんの鍵が付いたものから、準備室の物を選び、鍵を開ける。これで都都が鍵を借りたのはどうやら本当らしいと分かった。
 インスタントのコーヒーを淹れ、膝が置けるタイプの椅子(という説明でわかるだろうか)にちょこんと座った水島先生は、ことりと首をかしげて可愛らしく聞いてくる。生徒の間では、清楚系ということで通っているが、これで中々可愛らしいところがある。あれ? 清楚と可愛いは両立できるのか?
 ただ、今はその右手の指に白い包帯が巻かれているために、痛ましい印象の方が強い。
「で、お話って何かしら」
 膝を置けるタイプのデザインの椅子に腰掛けて、水島先生が穏やかに聞いてくる。
 私は、別に聞き込み調査とかに慣れているわけではない。少し気恥ずかしいところもあったが、毒皿である。それで、えーっと……何から聞いたらいいんだっけ?
 水島先生がオーディオの入っている木箱をさっきの鍵束で開け、何かの音楽をかける。確かアルメニアの民謡か何かをアレンジした曲だ。……アルメニアってどこだ?
 なるほど、無指向性だとかインピーダンスだとか言っていた意味は分からないが、確かにリアルな音である。
 ちょうど聞きたいことでもあったので、話を切り出す。
「このオーディオって普段鍵をかけてからお帰りになられるんですよね」
 一瞬、面食らったような顔をする水島先生。
「え、えぇ、そうよ。というより、使い終わったら鍵をかけるといったような感じかしらね」
 間を空けず、次の質問に移る。
「リモコンも一緒に仕舞ってあるんですよね」
「えぇ」
 ここに、といって木箱の中のポケットを指さす先生。少しの間沈思黙考して、唇に指を一本当てて言葉を継いでくる。
「もしかして、貴女、音楽室の幽霊の話を調べてるのかしら?」
 あぁ、バレてしまったか。そもそも隠す気もあまりなかったが。
「貴女がどこまで知ってるのかこちらには分からないけど……もし分かってるのなら、誰にも言わないでくれるかな」
 お茶目に片目を瞑って両手を合わせて言ってくる水島先生。その反応が余りにも予想外過ぎて今度は私こそが面食らった。
「へっ?」
 私とのちぐはぐな会話に先生も違和感を持ったらしい。
「あ、いや、何も知らないのならいいのよ」
 今度は両手を顔の前で振って、急に焦りだす。感情表現の多彩な人だ。
 この態度をどう取るべきだろうか。常識的に考えたら、私がやりました、と告白しているようなものである。
 疑いの目を向け、二の矢を私が放とうとしたとき、電話が鳴った。なし崩し的に追い出される私。
 覚束ない足取りで音楽室に戻り、都都のそばに座って私は考えていた。
 つまり、どういうことだ?

 より状況が複雑になってしまった気がする。
 先生が犯人? だとすると、確かに説明の付きやすいことは多くなる。
 都都と共犯だというのなら、確かに犯行は楽だ。先生は自分のオーディオに、音楽室のピアノの中に隠されていたレコーダーに仕掛けられていたような時限装置を仕込むことが出来るし、都都も流される曲を合わせることが出来る。
 しかし、あそこまで時間がぴったり合うものだろうか。それに、もっと大きな問題点がいくつも残っている。
 まず一つ、どうやって私たちが入った瞬間にオーディオの再生を止めたのか? 多少調べたが、赤外線はどうやら木材を通過できないらしい。それはまぁ可視光線が木材で反射されているのに、それにエネルギーで劣る赤外線が貫通できるわけはない。当たり前だった。
 それなら、木箱の中に入っているリモコンにも時限装置がつけられていたらどうだろうか。犯行は可能にはなるが……。それにしても、タイミングが難しすぎる。うっかり鳴り止む前に都都が鍵を開けてしまったら、振動するスピーカーを私に見られておじゃんだ。
 二つ目、動機だ。
 先生が生徒を驚かして喜ぶだろうか? 中にはそんな先生も居ないわけではなかろうが、水島先生がそのタイプであったとするには少々論理が飛躍する。
 おまけに、得がない。せいぜい、幽霊話が流行ったところで別館の音楽室に人が寄りつかなくなるだけだ。それは教員にとって得といえるだろうか?
 ある意味では言えるかもしれない。別館の評判を出来るだけ悪くして、本館の方に移りたいのかもしれないし、少し飛んだ発想をするならば、別館の音楽室に溜まる私たちを追い出したいと思ったのかもしれない。
 しかし、前者は、余りにも学校側にバレたときのリスクが大きすぎるということで排除できる。
 後者は、もっと明らかに欠陥を抱えている。なぜなら、追い出したいと思ってるのなら、都都と共犯関係になんかならないはずだからである。私だけを追い出したかった、というなら話は別だが。音楽室で本読んでるだけだしな私……。傍目から見たら変だよね……。主観でも変だけど……。
 そして、この場合都都はどのような動機でこのようなことに加担したのか。もう私を驚かすため、というのは通用しない。先生の犯行の尻馬に乗って私を驚かせたかった、というのはまぁあり得るが。
 それともう一つ、先生が目撃者として、私を用意した、という可能性である。都都を通して私を現場につれてくる。私は驚き、その噂を広め、それで先生は何らかの利益を得る。……無茶があるなぁ。
 大体それだったら私よりももっと適任がいる。自分で言うのもなんだが友達は少ない方なので、私なんかの影響力は微々たる物だろう。
 なら他にどんな動機があるというのか。
 大人の事情、というヤツで、全く私には想像も付かない理由なのかもしれないが。どちらにしろ、納得を与えられる説明が思いつかない。
 では、さっきの先生の態度を、別の角度からとらえてみたらどうだろう。
 すなわち、先生はやっていないが、犯人は知っている。そして、それを庇う立場にある。
 この場合、先生の目に私がどのように映ったかを考えなくてはいけない。
 まず、都都は確実に犯人側であるとしても、先生は都都を庇うだろうか? いや、その理屈はおかしい。都都の振る舞いでは私にだけは事実が伝わるとマズいかのようであったが、先生の言い方だと、まるで、私が事実を知っていて、その上で口封じをお願いする、というように聞こえた。つまり、二人の認識に相違がある。
 では、都都の共犯者を庇う必要があった、としたら?
 これはもう状況が想像もできない。登場人物が多すぎる。
 都都が何者か、幽霊を出現させることで得のある人間と結びつき、私を驚かせ、噂を流させる。……、それを何故先生が庇う必要があるんだ?
 やはりダメだ。そもそも、さっきの先生の物言いだと、先生は明らかに何も悪いことをしていない、したとすら思っていないと考えるのが適当なような気がする。
 あのことは恥ずかしいから黙っていてね、くらいのニュアンスである。罪が発覚するのを恐れるのなら、もっと言い方が変わってくるはずだ。
 ただ、そうすると、幽霊事件について先生がなにを恥ずかしがるべきなのだろうか。自らが火元責任をする教室でこのような前時代的な幽霊が出たことに対する羞恥? いや、それだとしてもあの物言いにはならない。
「貴女がどこまで情報をつかんでるのかこちらには分からないけど……もし分かってるのなら、誰にも言わないでくれるかな」
 この物言いの真意はなんなのだろうか。先生に確かめたくても、おそらくさっきのように話をはぐらかされるだろう。
 あーもうっ。全部がこんがらがって全部分からない。
 フーダニットを考えすぎたか、まずどうやって犯行が行われたかを考えれば自ずと犯人も分かってくるのか?
「都都ー」
 自分でも気持ち悪いと思ったが甘えるような声がすっと出てきた。原音に忠実に表記するとなると拗音をしこたま使う必要がある。
「なによ。考えごとは終わったのかしら?」
 私の頬をつまんでは離し、つまんでは離しを繰り返す遊びを始める都都。
「終わってないわよ。水島先生には意味分からないこと言われるしさ……」
 先ほどの先生とのやりとりを伝えると、ここで都都まで首をかしげる。演技だろうか?
「それは……、どういう意味でしょうね」
 こっちが聞いてるんだよ。まぁ知ってても答えてはくれないだろうが、どうも本気で不思議がっているように見える。
 都都もこのことを不思議がるとすると、一体誰がことのすべてを掴んでいるんだろうか? それとも不思議がっているのも演技なのだろうか?

 結局、結論は出ないまま、その日は帰ることにした。都都もなにを考えているのか分からないし、なんとなく距離を掴みかねた。いつもならこんな気兼ねはしないのに、少しだけ胸が痛む。
 私が帰る段になってもピアノを弾き続けている都都の表情は、光の関係かよく見えなかった。

 喫茶店では、また性懲りもなく青木さんが仕事をしていた。いや、仕事というのはそういうものなのは分かっているのだが。パソコンを開いて仕事をしているのはなかなか珍しい。デスクトップ型で、電気はうちのコンセントから拝借しているんだがこれは電気代を請求してもよろしいのだろうか?
「青木さん、なに作ってんの?」
 いつもなら遠巻きにうちのとか、あるいは近隣の高校の吹奏楽部員が青木さんに話しかけようとしているのだが、この時間帯ではまだ部活中なのだろう。一人で作業している青木さんをとっ捕まえて、私は少し脳みその整理をすることにした。
「CMの曲を頼まれた。うちの楽団の方がコネで仕事を取ってきてくれた。といっても、地方の銘菓のCMだからあまりうまみのある仕事じゃないが、ここからということもある」
 作業中にも関わらず、珍しく饒舌だ。
「ただ、先方が要求しているのはどうも器楽曲ではなく、シンセサイザーを多用したその……いわゆる電波ソングとかいうヤツらしい。僕はDTMはあまり得意ではないからお断りしたかったんだが、そういうわけにもいかない状況でね。まずはどんな曲想で作るかを先人たちの曲を聴きながら考えている……しかし、なんでこんなに歌の下手な人ばかり歌っているんだろうね」
 専門外の仕事をほいほい受けるのもどうかと思うが、電波ソングを作るのにここまで真剣に取り組むのもどうかと思う。そして、電波ソングをCM曲にする地方銘菓はもっとどうにかしてると思う。クラシック作曲家が一から勉強して作る電波ソング、興味が無かったわけではないが、今はそれどころではなかった。
 青木さんの目の前の席に腰掛けると、私は今日の出来事を話し出した。
「でね、今日あったことなんだけど……」
 いつも通り特に反応が返ってくることはないが、相談と言うよりも私の思考の整理だ。そもそも、都都に脅されている青木さんが私に対してアドバイスをしてくれることも期待していない。
 それに、驚くべきことだが、私はこの謎解きを案外楽しんでいるようだった。正直一ミリも真相に近づいている気はしないが、都都の鼻を明かしてやりたい。
 話している中で、私の疑問点はいくつかに収まった。
 都都は、一体この事件にどのように関わっているのか?
 先生は、一体この事件にどのように関わっているのか?
 そして、準備室の密室の謎は、どのようになっているのか? 誰がやったのか?
 まとめればこれだけになる。……なるんだけど。
「というわけなの。青木さん、分かる?」
 期待して青木さんの方を向いたわけではなかった。だが、青木さんはこちらを驚いたような顔でみていた。てっきりこちらの方も向かずに作業に集中していると思っていたから、私もびっくりしてしまう。
「……? 僕の出した結論から言うと、水島先生とかいう御仁のせりふはおかしいことになる」
 青木さんは、作業の手を止めて、話を聞く体勢とでもいうのだろうか、前のめりになって私の目をのぞき込んできた。気圧されて目線を外せない。
「まず一つ、もしかして、幽霊が出たのは一昨日だけではない?」
「あれっ言ってなかったっけ? 幽霊は毎週水曜日に出てたよ。私たちが行ったのは一昨日だけど、その前まではクラスの男子が遭遇してたみたい」
 ははぁなるほど、と一人で納得する青木さん。一番重要な質問はそこだったようで、勝手にふんふん頷きながら椅子に深く腰掛けてしまう。
「ところで、その水島先生って人について出来るだけ詳しく教えてくれ。それと、もしかしたら明日以降、君に学校で聞き込みの真似事をしてもらうかもしれないな」
「えっ、どういうこと? ねぇ、ところで都都に口止めされてるんじゃないの?」
「あぁ。おそらく都都ちゃんはこちらの話には大して興味もないだろうね」
 話が二つあるみたいな口ぶりだ。……? というか口止めされてること自体は口止めされてないのか。
 いずれにせよ、青木さんがやる気になったのなら、私に出来ることは一つしかない。黙って言うとおりにすることだ。
 それからしばらく、問われるままに質問に答えた。
 濃厚な質疑応答の後、青木さんはいくつか私に明日学校で聞いてきてもらいたいことをリストアップした。

「いや、だから俺たちは音楽室には入ってないんだって。鍵がかかってたんだから当たり前だろ」
 翌日放課後、私は、勇気を振り絞って苦い君たちのグループに突撃、尋問をぶちかますことにした。ひぃっやめろこっちをみるな、でも質問には答えろ。
 苦い君は、比較的背の小さな男子で、比較的背の高い私からすると、見下ろす感じになってしまう。これ、苦手なんだよなぁ……。相手はどうやっても女子に見下ろされているってことで不満を感じるらしいし。
「え、じゃあどうして誰も居ないのにピアノが鳴ってると思っ……たの?」
 少々語尾の選び方が不自然になる。普段どうやって話していたか、忘れてしまう。いや、そもそも普段男子となんか会話していない。やっぱり私尋問とかには向かないんだわと痛感。
「鍵が閉まってたからだよ。生徒が内側からかけた可能性がないわけでもないが、次の日の朝、早くに音楽室に行って確かめたら、鍵がかかっていたからな」
 なるほど、鍵を外側から閉められる人間でないと犯行は不可能と。
「それじゃ、先生が犯人じゃねーの?」
 根本が黒くなってる汚い茶髪のグループの中でも特にアホそうな男子が混ぜっ返す。水島先生のことだろう。「バカねアンタ、水島先生は今月頭に右手の指骨折してるのよ? ピアノなんか弾けるわけないじゃない」
 素が出てしまった。
「それもそうだな」
 あっさり引き下がる。
「じゃあ音楽科のほかの教員は? ピアノくらい弾けるだろう」
「音楽科で鍵を管理してるのは水島先生よ。ほかの誰かが四週間も連続で鍵を水曜日だけ借りたなら別だけど……」
「それはないんじゃないかな。水曜日は教職員会議があるから、水島先生以外の音楽科の非常勤講師は先に帰ってしまう。つまり、水曜日に放課後残っていて、音楽室の鍵を持っている可能性があるのは水島先生だけだ」
 苦い君が腕を組んで偉そうにおっしゃる。みんな気づいてる内容を繰り返してるだけだ。バカめ。
 まぁ、都都くらいになると鍵も借りれちゃうらしいが(ら抜き言葉)、先生もそうそう見知らぬ人間に貸したりはしないだろう。
「で、その水島先生は骨折でとてもピアノを弾ける状況じゃないと……」
「あ、そうだ。これも訊かなきゃなんだけど、そのときそのピアノがどんな曲弾いてたか覚えてる?」
「えー? 覚えてねーよそんなん。あ、でも最初になんかやたら低い音で速い動きがあったかな」
 と苦い君。ん? 幻想即興曲ではないのか? 幻想即興曲はフォルティッシモのスフォルツァンドからだ。
「あ、俺途中からなら覚えてるぞ」
 といってアホの子が歌い出す。どこか東欧風なメロディーは、確実に幻想即興曲のものでも、二つのアラベスクのものでもない。たまらなくなって訊き返す。
「常にその曲だった?」
 グループの全員が、お互いの顔を見回して、頷いた。
 混乱してきた私は、礼もそこそこに音楽室に向かった。