ユンデフレミング

3.-美しき青きド・なう-


「と、いうことがあったの」
 時は少し変わって次の日の放課後、場所は私の家の一階部分を占める喫茶店。この喫茶店は、私の母方の祖父母が経営している。この小さなビルみたいな家は三階建てで、一階部分が喫茶店、二階が祖父母の生活空間、で三階は私たち家族のものだ。
 そして私はここの喫茶店のバイト(無給)。
「はぁ。で、それを僕に話してどうする気なのかな」
 話し相手は青木多悩さん。
「いいじゃないのどうせ暇してるんだから」
「君にはこれが暇してるように見えるのか!」
「いつもみたいに汚い楽譜をさらに汚くしてるだけじゃない」
 そう、彼は作曲家だ。青木多悩(ドナウ)なんていうふざけた駄洒落のネーミング(ペンネームらしい。本名は聞いたことがない)からも分かるとおり、熱心なシュトラウス好きらしいが、流石にそれは趣味が古くさいといわれるらしく、作品にはあまり反映されていない。頼まれる物はなんでも書くいわば便利屋的な位置づけにあるらしい。作曲家とは名ばかり、クラシック曲やポップスを吹奏楽アレンジして飯を食いつないでいるだけだとよく愚痴っている。他にも、近隣の中学高校の吹奏楽部に出向き、コーチとしてレッスン料を貰ったりもしているみたい。
 主な活動場所は、さっきもいったように吹奏楽。だが、たまに管弦楽のスコアも書くし、室内楽もアンサンブルもソロ曲も頼まれればなんでも書く。頼まれなくても書く。アレンジもすれば、委嘱されて書くこともあるし、好き勝手書いてどこの出版社にも相手にされなかったりもする。
とにかく多作家なのだが、世に出るのは少ない。あぁ、作曲家なんて売れっ子以外はこうなんだなぁと実感させてくれる人である。
「今失礼なモノローグ入れなかったか」
「気のせいよ。で、それより不思議だと思わないの? 幽霊が出たのよ?」
「君は幽霊なんか信じる性質だったか? むしろそういったものを一番嫌っていそうな人間だったじゃないか」
「それはそうだけど、じゃあ誰が一体どうやって密室から突然消えていなくなったって言うのよ」
 青木さんは、気難しい。というより、簡単に言えば変人である。芸術家というのは変人でなくてはならないという決まりでもあるのだろうか。
 毎朝、この喫茶店が開店すると同時にやってきて、閉店するまでコーヒー一杯でねばって作業する。平気でコンビニの菓子パンを持ち込んで昼食代わりに食べる。祖父母の店でこうも勝手な行動をされると心が痛いのだが、吹奏楽の作曲家ということで、彼目当てで来店する中高生(当然、私の学校の吹奏楽部員も含まれる)がこの店を黒字経営に持っていっている側面もあるのでなんともいえない。 祖父母も黙認状態というか、むしろたまに青木さんの顔色が悪いと栄養バランスを心配してか、軽食などを与えている。そして、その軽食はなぜか私が作る羽目になる。餌付けでもしてる気分である。
 そんな事情もあって、青木さんは私にはあまり強く出られない。
「密室……、密室ねぇ。別に大して不思議な話でもないと思うが。現にもう僕には謎が解けた」
 そして、一番変人なのはここである。
「へぇぇっ?」
 彼は、いわゆる名探偵というヤツであった。

 なぜ、名探偵などと言う前時代的で恥ずかしいタームを使わなくちゃならないかというと、まさしく彼が名探偵としか表現のできない洞察力の持ち主だからである。以前にも、自分の作った曲の初演コンサートで起きた、全員にアリバイのある殺人事件などをその日のうちに解決してしまったことがあるらしい。身近な所では、ある日から突然毎日うちの喫茶店に来て、変な注文をして帰っていく男の謎を解いたり、その他にも挙げれば枚挙に暇がない。あまり話したがりはしないのだが……。ほんと作曲家とかやめて、探偵にでもなればいいのにってしょっちゅう思う。
 実際、今の私の話を聞いただけで、謎が解けたという。……、茶飲み話程度にかなり省略したんだけどなぁ。飲んでたのは薄くて不味いコーヒーだけど。うちの喫茶店はとにかく不味いコーヒーとやたら美味しい軽食で評判だ。理由は簡単、コーヒーは祖父が淹れ、軽食は私が作るからである。
「誰よ、一体誰がどうやってやったのよ!」
「いや、謎が解けたといっても、今の君の曖昧なしゃべりでは情報量ゼロだから誰が犯人かということが分かったにだけだ。だが、ほとんど手口の予想も付いている。君がもっと詳しく話してくれれば確信を持てるんだが、あいにく今、僕はクソみたいなミュージシャンのポップスをスイーツどもの為に吹奏楽アレンジするので忙しい! また今度話を聞こう。十年後くらいに」
 ひらひらと空いている手を振って、目も向けることなくぞんざいに答える青木さん。
「ちょ、この状態で逃げる気? 全部謎解きするまで絶対書かせないからね!」
 そう言って私は、青木さんの手から高級そうな写譜ペンを奪い取る(いまどき、この男と来たら清書は手書きなのだ!)。
「おい、それは困るっ」
「じゃあ全部洗いざらい話してよ!」
「それで僕にいったい何の得があるっていうんだ」
「女子中学生と会話できるよ?」
「僕はロリコンではない!」
「どちらにしろ、同世代に興味ないのは一緒でしょ?」
「彼女が居ないのは今関係ない!」
「より正確に言うなら彼女が居たことない、ね」
 なんとか交渉……と言ってもいいのか自分でも疑問だが、の末、三日分の軽食と引き替えということになった。
「約束破ったら針千本爪の間に刺すからね」
 理不尽だ、と嘆く。諦めたように肩を落とすと、目を瞑って
「全部話せ。覚えている限り細かくだ」
 私は手を打って喜び、さっきも話した内容を覚えている限り細かくもう一度繰り返した。
 青木さんは、ほとんど聞いていないんじゃないかってくらいペン先と譜面に集中していたけど、途中、どうでもいいようなところで話を止めて質問をしてきたからたぶんちゃんと聞いているんだろう。「都都ちゃんは、『がちゃがちゃと大きな音を立てて』ドアノブを回そうとしたんだね?」とか、それがどうした、っていうレベルの質問。
 結局20分くらいかかっただろうか。私もできるだけ分かりやすいように喋ろうとはしたのだが、いかんせん癖が抜けず、結構時間がかかってしまった。
「ふぅん……」
 青木さんは腕組みをする。
 西日が最もきついこの席を好んで座る意味は分からないが、オレンジ色の光で薄く陰影の付いた顔にはいつもとは違う位置に皺が寄っていた。目をつぶって、眉間を押さえているとそれなりに絵になる。
「まぁ君が気づかないのも無理はない。友達思いなんだろうね。騙されやすいバカのお人好しともいうか」
 一度に褒められて貶されてどう対処したらいいのか。
「いいから早く謎解きしなさいよ。私は余り気の長い方じゃないわ」
 ついでに言うと、おへそで茶を沸かすとか爪に火を灯すとかそういう慣用句が大好きよ。
「脅しのつもりだとしたら笑止千万、けれど今君に伝えてもいいものかな……」
「何をごちゃごちゃ言ってるのよ」
 室温と完全に同じ温度になっちゃってるコーヒーの入ったカップを持って、矯めつすがめつ手遊びながらなおも文句をぶーたれる。
 そこへ、店の入り口に吊してあった来店を告げるベルの音が割り込んできた。
 青木さん以外の客が居ないのをいいことにバイト(ただし無給)をサボっていた私は、慌てて仕事する風を装った。「いらっしゃいま……なんだ、都都じゃないの」
 来店者は都都だった。制服なところをみると、学校が終わって、ピアノでも弾いてからここに寄ったのかもしれない。普段はあんまりこないんだが。
「なんだとはご挨拶。そういえばナンダ朝なんて国もあったわね」
「何世紀の話よ」
「だいたい前四世紀くらいかしら? ブッダの時代ね」
 で、それはどうでもよくて、と前置きして都都は青木さんの方に詰め寄る。
「何の話をしていたのかしら。あ、いえ、言わなくてもいいですわ。ちょっとこっち来なさい」
 都都が青木さんを好きだ、という話は本人が明言しているのを聞いたわけではないにしても、それとなくほのめかすのをなんどか聞いた。あいつが私に嘘を吐いても仕方ない、おそらく本当なのだろう。私から言わせれば、少々年齢が上すぎる(実際の年齢は聞いたことないが、どうみても二十台も後半である)上に、将来性と安定性に欠けるところがある。……まぁ金持ちの考えることはよく分からんということだろう。パトロンになってメセナでもするつもりだろうか。
 だが、なぜか都都は青木さんに対して強く出る。それは青木さんが都都から何度も金を借りてその度にしらばっくれることにあるのか、都都の可愛い愛情の裏返しなのかは知らない。
 そして、突然青木さんのカッターシャツの襟を掴み、すごい力で牽引する都都。
「ちょっ、まっ、あっインク、インク!」
 悲痛な叫びを上げて女子トイレ(!)に連れ込まれる青木さん。
「待ちなさいよ都都、今私青木さんに聞きたいことが……」
 最高の笑みと最低の目つきが返ってきた。
 唇の形があ・と・で。と告げてくる。
 どことなく逆らってはいけない雰囲気を感じ取った私は、掃除でもするかなと箒を取り出した。

「だからね、僕はこう思うんだ。たまには真紀ちゃんも自分の頭を使って考えるべきなんじゃないか……、ってね。確かに人間の脳細胞は毎日毎日カンネーの会戦もかくやといった様子で死んでいく。だが、シナプス同士の結びつきを強めることで、老いてもなお衰えない脳力を作ることはできる。そしてそのためにはなにが一番か? そうだ、ねばり強い思考しかないんだよ」
「で、その棒読みは今都都に仕込まれたものなのよね?」
 青木さんがカンネーの会戦とかそういったワードを引用するわけがない。それらの史的ワードは都都の愛するところである。
「お願いだよ、だってあの子、『スキンシップって人間の皮で帆を張った帆船のことですよね』とか笑顔で言ってくるんだぜ」
 いつも不機嫌そうな顔がデフォルト(別に本当に不機嫌なわけではない)の青木さんが苦渋に顔を歪めている。
「それに、今僕が言うことは簡単だが、それでは全く意味がないんだ。全くね」
 都都がくる前にも口ごもっていたようなことを強調してくる。
 都都が遅れてトイレから出てくる。
「それじゃ、私は失礼するわ」
 呼び止める間もなく店からも出ていってしまった。……喫茶店に入って注文すらしないとは。
 ただ、都都がそこまでして青木さんに謎解きをさせなかったということは、なんらかの理由があるのだろうか。と、いうか青木さんに私がこの話をするであろうことが見抜かれていたことが若干恥ずかしい。
 それに、こんな風に年下の女の子にいいように扱われている大の大人に頼るのも情けない。
「いいわよ、じゃあ私だけで考えればいいんでしょう? でも、もう頼まれてもなにも作ってあげないからね!」
 私が啖呵を切ると、青木さんは今度こそ泣き笑いみたいな表情になった。

 さて、あぁは言ったものの、私にはさっぱり検討もつかない、というのが実状である。自慢じゃないがこれまですべての謎は青木さんに任せてきた。
 あの日のことは一応まだ詳細に思い出せる。記憶力には若干の自信がある。観察力というと……どうだろう? ドジ、というわけで断じてないが、あの日も別に鵜の目鷹の目だったわけではない。
「これは明日以降調査してみる必要がありそうね」
 だが、その前に考えることはいくらでもある。
 まず、都都はこの事件について、私の知らない何かを確実に知っているということだ。もっと言えば、犯人側である可能性すら高い。
 なぜなら、わざわざうちの喫茶店まで来て、青木さんの口止めををするくらいだ。考えるまでもない。
 それなら、都都はどうやってこの件について関わっているのだろうか? 直接聞いた方が早いような気はするが、どうせ答えてはくれないだろう。
 しかし、これで大分気は楽になってきた。あの事件が本当に幽霊の仕業であったなら、都都があのような行動をとる必要はないからである。逆算して、あの事件は人の手による、といえる。……そうなると、誰かが悪意を持って幽霊事件を起こしたことになるのか? よく考えると、そちらの方がよっぽど怖いな。
 しかしそれならば、都都はどういった形で事件に関与したのか。それが今一番ネックとなる。
 まず考えられるのが、都都自身が犯人だった場合である。どうだろか。
 まず動機であるが、これはもうこの場合は私を怖がらせるため、でファイナルアンサーだろう。都都が巻き込まれ型イベントに首を突っ込むのはおかしいと思ったが、これなら一応説明は立つ。それに、都都が犯人なら、音楽室で再生されたCDが都都のものだったのもわかる。
 当日、都都は確かに挙動が変だった。携帯をやたら操作していたのもタイマーが時間通り作動するか心配だったと考えれば不自然ではない。
 だがしかし、都都が犯人とすることにはいくらかの問題点が残る。
 まず一つ目、私と一緒に行動していた都都が、どうやって準備室のピアノを弾くのか。
 音楽室のピアノの方は詰まるところモノをしかければ誰だって犯行は可能だろうが、準備室の方はそうもいかない。
 都都が二人居れば話は別だが、あいつにドッペルゲンガーを作る趣味があったかどうかは分かりかねる。
 仮に、準備室では誰もピアノを弾いていなかったとしよう。そうなると、音はあのご立派なオーディオから流れ出した、ということになるが、肝心のオーディオは鍵のかかった箱の中である。リモコン操作も出来たはずだが、リモコンの赤外線があの木箱を貫通するかどうかはちょっと不勉強で分からない。また、リモコンも一緒に木箱の中にしまうスペースがあるので、どちらにしろ操作は不可能である。たとえ、リモコンを水島先生がしまい忘れていたとして、赤外線が木を貫通するとしても、都都がどうやって操作をしたのか、ということのエクスキューズにはならない。ほぼ一緒に居たというのに、トリックも何もあったもんじゃない。不可能だろう。
 では、都都が直接は関与しておらず、この事件の真相を知っていた、と仮定してみよう。
 そうすると、動機の面が今度は不十分になる。
 都都は昨日の夜、すでにこの件について十分な情報を得ていたのだろうか。それとも今日、学校で情報を得たのだろうか。
 どちらにしろ、この場合は都都が私に対して真相を隠すだけの理由がなくてはならない。その理由とはなんだろうか? 考えてみるが思い当たらない。犯人が都都の知り合いで、かばう必要があった? いや、あいつがそこまで義理立てする必要のある人間は少なくともこの学校には居ないだろう。
 そしてこの場合でも、やはり準備室の密室の謎は解けない。どうやって忍び込み、どうやって隠れたというのか。思い返してみても、いくら準備室が使えなくなったアコーディオンやティンパニでごった返しているとはいえ、せいぜいが八畳程度の小さな部屋である。懐中電灯で照らして探したときも、まるで人影は見あたらなかった。
 では、都都と犯人が共犯だった場合はどうだろうか。……、都都は放課後に鍵を持っていたわけだから、自由に準備室に出入りすることは出来ただろう。だがやはり、先ほどと同じで、隠れるスペースはないのである。秘密の抜け穴、などという可能性がないでもないが、そんなに堂々とノックスの十戒を破る犯人が居るだろうか。犯人は中国人だった! とか。
 あーダメだ、考えても考えても結局密室の謎にぶち当たってしまう。才能のなさを痛感する。
 私は考えることをやめ、掃除に力を入れた。そろそろ部活が終わった中高生がぞろぞろとまではいかないものの、ちらほらとやってくるころである。
 横目にちらっと見ると、青木さんは西日を受けて、今だに楽譜と格闘していた。