プリースティスに聞いてみろ

2.赤い缶の山


 てっきり、「ほーうなるほど。ジャパニーズはパンクチュアルな民族だと聞いていたが、それはどうやら本当だったみたいだね」とかなんとかブリティッシュアイロニーを言われるんじゃないかと思っていたが、ジャックは予想以上に気さくな方で、事の顛末を英語でたどたどしく説明したら、何度も爆笑しながら聞いてくれた。
 どうせ今日は顔合わせで、大したことをやる予定もなかったよ、なんせ教材もまだ作ってないんだからなハハハと豪快に言われると、こちらとしても日本人の特技愛想笑いで返すしかなくなってくるのである。
 しかし別の面で心配がある。ジャックは体格も立派で、しかもかなりのイケメンともいうべき黒人男性だったのだが、本当にジャックが『六階』の人間達に狙われないか、という心配である。
 ただ、僕にはあのようなソドムを英語で的確に表現してジャックに伝える術をまだ知らない。だから僕は一日も早く英会話において上達し、この気さくな先生を守ろうと決意したのだった。
 
--19:10
 ジャックの英会話教室は一時間もしないうちに終わった。あまり遅くなってはならないとの配慮だろうが、さすがにもう高校の、二年生ですよとも言いたくなる。だが、よく考えたらこのビルには魔物が住んでいるのであって、早く帰れるなら早く帰れるにすぎることはないのであった。
 なるべく音を立てずに、しかし急いで階段を降りる。六階の付近を通るときは特に。
 そして、五階にさしかかったときに思った。はて、僕は先ほど湾さんにお礼を言っただろうか。明確には言ってない気がする。
 もちろんさっきの「またいつでも来てくださいね」は社交辞令だとは分かっている。だけど、ポジティブに考えれば言質を取ったともいえる。
 まぁ、こんな時間だし、もう家に帰っているかもしれない。ドアを一回引いて、鍵がかかっているようだったらまた今度にしよう。
 今にしてみれば、どうしてこんなしゃばけを起こしたのか分からないが、とにかくその日のうちにもう一度湾さんと会っておきたかったのである。やっぱり美人だったし、少々浮かれていたのかもしれない。バカめ。今すぐ足を引き返せと言ってやりたい。
 ドアを引くと、予想より簡単に開いた。さっきから、おもかる石じゃないんだからと自分につっこみを入れる。
「すいませーん……」
 人間一度でも入った場所は勝手知ったるとまではいかないものの、多少度胸が付いてしまうものである。中学生の頃は生徒会委員でもない癖によく生徒会執行部室に入り浸っていた記憶があるが、あれに近い。
 夕方入ったときとは対照的にブラインドもカーテンも全開に開けられていた。そして、月の光を受けて、奥のデスクには僧服を着て、髪を下ろし、僧帽を被った湾さんがたたずんでいたのだ。
 思わず、息をのむ。というのも、ある意味当然でもあるのだが、あまりにもそれが彼女に似合っていたからだ。
 そして、さらに不思議なことに、僧服を着ているというのに、感じられる魅力はどこか神聖というよりは、もっと野卑な、地に足の着いた蠱惑的なものであったからだ。
「あれ、小海じゃないですか。もう来てくれたんですね、嬉しいです」
 立ち上がって、十字を切る湾さん。喉が音を立てた。
「どうしたんですか? ぼーっとして。……ああ、服装ですか」
「え、えぇ。」
「昼間は、外に出たりすることもあるので普通の格好をしていますが、夜は色々な方がいらっしゃいますからね。こっちの格好の方が都合がいいんです」
 なるほど、そういうことか。主な客層(?)は仕事帰りのサラリーマンだと言うから、来客があるのはだいたいこの時間帯からなのだろう。
 口を利けば、昼間の彼女と変わらない。相言い聞かせて、少し落ち着きを取り戻した。
「あの、さっきはちゃんとお礼をしていなかったって。それだけ言いに来たんです。……ありがとうございました。探偵扱いされてるってのも、なんだか納得です」
「だから、お礼なんて全然いいのに。こちらこそ感謝したいくらいですよ」ここで何か思いついたらしく、手をはたと打って「あ。そうだ。さっき、この部屋を掃除したいみたいなことを仰ってましたよね。でしたら、感謝の言葉代わりに、少しでいいので、この部屋を片づけるのを手伝ってくれませんか?」
 感謝の言葉代わりもなにも、もう言ってしまったのだが、その提案には是非はない。僕は喜んでそれを承諾したのだった。

 が、これが間違い。
「うわっ何ですかこれおかしくないですかだってうわ絶対今動いた蠢いた」
「蠢くゴミはこっちの袋です」
「なんで対処に慣れてんですか!」
「きっと聖霊様ですよ」
「聖霊をゴミ袋にシュートすんのか!」
 とか
「あっほら見てくださいよこれ。昔のアルバムだ。懐かしいなぁ……」
「僕はあんたの幼なじみか!」だいたい教会にアルバムもって来るなよ。
「ほら見てくださいよ。この子、男の子に囲まれてるかわいい子……」
「あ、ほんとですね」
「……を後ろから見てるわたし」 
 とかで、ほとんど僕だけが作業している状態になり、全然進まない。そもそも湾さん僧服だからあんまり汚れるような作業してもらうわけにいかないしね。
 だいたい、ゴミのバラエティーが多すぎて分類に困るのだ。腐葉土とか黒曜石って何ゴミ? その上、さっきもよく分からない木くずを紙ゴミなんかと一緒に燃えるゴミに突っ込んだが、ないとは思うが、もしあれがキリストの背負った十字架の欠片とかそういう聖遺物とかだったら、紙ゴミどころか神ゴミである。今更ながら冷や汗が出てきた。
 二時間以上かけて、ようやく床の上に無造作に置かれているものを無くしたときには、謎の達成感があった。僕は凝り性なのでこういうことは本気でやる。
「わー……、うちの床、こんな色してたんですね……」
 しみじみすんな。
「あと、テーブルの上とか片づけて、床とテーブル水拭きしたら終わりです。雑巾どこにありますか?」
 いや、これだけ部屋を荒らし回ったのだから分かるが、一応聞いておく。
「……どこでしたっけ」
 僕は言葉にならない悲鳴をあげながら、雑巾を取ってくる。「わぁすごいですね。もう私よりここの地理に詳しいんじゃないですか?」
 誇らしくない。
 僕が雑巾を水に濡らしていると、湾さんが自分のデスクの上を片づけながら(ここだけは私がやりますと主張するので)声をかけてきた。
「ところで、小海はこんな話を聞いたことがありますか? 街角に打ち捨てられる数百缶単位のコカコーラの空き缶の話です」
 ……?

「初めて聞きます。なんですかそれ?」
「いえ、先日いらした方で……名前は仮にエヌさんとしておきましょう」星新一のショートショートでも始まるのか。「エヌさんはよくこちらにお見えになって、懺悔をしていかれたり、大変興味深いお話を聞かせてくれるんですが」……あぁ、酔っぱらいが絡みに来るのか。だいたいここの教会の存在意義が分かってきたぞ。「先日に限ってはお酒をお召しになっていなかったようでして。それで、わたしに相談があるっていうんです。それが、つまりさっきのコカコーラの缶の事件だったんです」僕は濡れた雑巾を持って、ソファに腰掛けた。どうやら話は若干長くなりそうだ。さっきも言ったが、すでに、掃除を開始してから二時間以上が経過している。ここらで休憩を入れてもいいだろう。湾さんも向かいのソファに腰をかける。
「順を追って説明しましょう。エヌさんは犬を飼っています。名前はポツダムというそうです」どんなセンスだよ。
「それで、ある朝ポツダムを散歩させていると、彼は不思議なものを見つけました。早朝のお散歩で、ゴミ回収の時間よりも早かったのでそんなものを見つけてしまったのでしょう。あるアパートのゴミ捨て場に、大量のコカコーラの缶が捨て置いてあるのです。大量と言っても、十缶や二十缶ではありません。四十リットルのゴミ袋で四袋分といいますから、百六十リットル割る350ミリリットルで、およそ四百缶以上はあると思われます」
 コカコーラパーティでも開いたのだろうか。
「そして、これだけならエヌさんも、不思議に思いこそすれ、私にお話しになったりはしないでしょう。ですが、このあとに何が起こったと思いますか?」
「さぁ、別の場所でもコカコーラの缶が大量投棄されてたとか」
「……その通りです。よく分かりましたね。やっぱりどこかで耳に入れられてましたか? まぁ、厳密に言うと、エヌさんが次に見つけたのは、ドクターペッパーの缶です」
「両方缶が赤いですね」
「さて、この方達は、どうしてこんなことをしなければならなかったのでしょう? ……ということなんです」
 ……ふむ。
「別に、異常なほどコカコーラが好きなアメリカ人がいようが、異常なほどドクターペッパーが好きな幼女や厨二病が居ても構わないでしょう」
「アメリカ人? 幼女? すいません、なにをいってるんですか?」
 ボケが通じなかった。これは痛い。
「だって、ただ単に空き缶が大量投棄されてた、ってだけでしょ? 四百缶だとしても、百四十リットル。人間一日二リットル水分を採るとしても、二ヶ月あれば殆ど減らせます」
 一日六〜七缶ペースだが。飽きるわ。
「おかしくありませんか? だったら、その都度捨てればいいはずです」
 あぁ、そうか。「ため込んでから捨てる理由が分からないって事ですね?」
 湾さんは大きく頷いた。
「で、それを僕に話してどうしようと」
「それは……」
 と言ってちょっと恥ずかしそうに目をそらす。
「小海に向かって推論を話していると、なんだか自然に考えがまとまる気がするんです。さっきもそうでしたし」
 いやいや、あれはただ資料を読み返すだけで考えも何もあったもんじゃ。あれ、ん?
「もしかして、まだ未解決ってことですか?」
「お恥ずかしながら」

--21:30
 こんな簡単に依頼内容を口に割るような探偵が居たら探偵業界全体の威信に関わるんじゃないかと思ったが、そもそもこれは刑事事件でもなければエヌ氏になんの落ち度がある話でもないし、そもそも湾さんは探偵でもない。いやいや、とはいえしかし。
 しかし、問題を整理するとこれはなかなかややこしいことになりそうだ。
 綺麗な部屋ではじめて煎れた茶を頂く。清潔な味。
「まず、不可解な点がいくつかあります」
 湾さんが語り出す。聞いているふりをしながらテーブルの下で母親に帰りが遅くなる旨をメールした。
「まずは、ずばりその圧倒的量です。四百缶、それも二ヶ所となると八百缶。尋常な量ではありません」
 異論なーし。
「そして、その同時性。コカコーラの缶を見つけた三日後、ドクターペッパーの缶を見つけたそうです。つまり、偶然大量投棄する時期が被ったとは考えづらく、単独犯、もしくは共通の意志を共有するものが犯人だと思われます」
 犯人扱いだよ。
「それともう一つ、赤いことが気になります。熱心な共産党主義者だったんでしょうか?」
「シャア専用機を作る材料を集めてたんじゃないですかね」
 微笑を漏らされた。今のは愛想笑いなのか。
「事象に関してはこの程度。では、動機です。なぜ、このようなことをしたのか? 愉快犯でしょうか?」
「いや、それはないと思います。……缶八百本っていったら十万円近くしますよ。ただの悪ふざけに出せる金額じゃないし、十万円使って悪ふざけをするなら、もっと効果的な方法がいくらでもあります」えー……たとえば、札束で頬を叩くとか。
「ふふ、十万円じゃ束は出来ませんよ」それもそうだね。
「では、何が目的なんでしょうか? ただ単純に投棄が目的なら、回数を分けるべきです。飲み終わった缶を放置しておくと、糖分に菌が沸いて、最悪の場合は破裂する場合もあります」「でも湾さん、人のこと言えないよね」「ク、クリティカルなものはその都度処分してます」
 さっきのスープ春雨はなんだったのだろう。
「えー……ごほん。愉快犯でもない、投棄そのものが目的でもない。なら何が目的なのか?」
 そういえば棄って漢字は生まれたばかりの赤子をゴミ取りに乗せる様子を表しているんだそうだ。えげつない。
「あの、聞いてます?」
「ごめんなさい」
「それで、動機ですが、……そうなんです。ここで詰まってるんです」
 湾さんが俯いて表情に陰を落とすのでこちらとしては何もそんなに思い詰めることはないじゃないですかと言ってあげたくなってしまう。
「でも、動機なんてそう難しく考えるのがいけないんじゃないですか?」
 どういうこと? とでも言いたげに顔をのぞき込んでくる湾さん。座高が低いのは分かったから。
「だって、わざわざゴミ捨て場に置いたって事は、ゴミ捨て場じゃなきゃいけない理由があったんでしょう? 常識的に考えたらそれはゴミ収集車に回収されるためとしか思えません」
 まぁ、だからといって正確な動機は分からないのだが。
「……そうですね。でも、そしたら大量の缶を回収させて、何がしたいんでしょう」
 二人で首をひねっていると、ドアがノックされる音が聞こえた。
 っびくぅと体が跳ねる。あ、あれ? 僕はどうしたらいいんだろう。出ていった方がいいのだろうか?
 入ってきた人を見て、出迎えようと立ち上がった湾さんがあっと声を小さく漏らす。そして僕に耳語して曰く、「エヌさんです」
 エヌ氏は、長身蓬髪の初老男性だった。こんな風に年を取ってみたいものだ。だが、かっこいいのも素面だからかもしれない。湾さんの口調だとどうもお酒が入ると面倒な人っぽいし。
「すまないね。連日訪れてしまって……ずいぶん片づいたな」僕がやりました。へへん。
「いえ、そんなことはありませんよ」
 湾さんが言うが、それは連日の方にかかるのか、片づいたの方にかかるのか……。
 エヌ氏は、僕の姿を見ると、一瞬眉根を寄せて、それでも軽く一礼した。いえいえ僕は客じゃないですから。っていうかやっぱり高校生がこんな時間に、ダメですよね。
湾さんがソファを薦めるて、僕の向かいにエヌ氏が腰をかける。
 僕も軽く会釈を返して、立ち上がってそのままフェードアウトしようとしたら、隣に湾さんがおもむろに座ってきたもんだから驚く。「まだ、居てください」また耳朶に口寄せられて、くすぐったいんだかなんだか、その声で催眠にかけられたようにソファに押し戻された。
 エヌ氏も不思議そうな顔をしていたが、いらない質問をしてくるような男でもなかった。それでもやはり気まずいので、「あ、あの、僕お茶煎れてきますね」「あ、お願いできますか?」
 いそいそとやかんに火をかけながら思う。はて、どうして僕が助手……いや、小間使いみたいな仕事をしているのだろう。
「……それで、今朝の話だが、また現れた。今度は烏龍茶の缶だ」
 声が漏れ聞こえてくる。やはりそうではないかと思っていたが、どうやらこの事件は現在進行形で続いているらしい。
「また、大量にですか?」
 ちらっと横目に見ると、厳かに頷くエヌ氏。おっと危ない、葉っぱをこぼしかけた。あわてて振り向く。
「置かれたのは、E町だ」
 お茶を持ってソファに戻ると、二人はなにやら地図をガラステーブル上で開いて、顔をつきあわせていた。「あの、お茶どうぞ」「あぁ、君か。ありがとう」
 僕も地図を見せてもらう。赤くマークがつけてある所が缶の打ち捨てられたゴミ捨て場らしい。
 十五日、金曜日にはA町。十八日、月曜日にはS町。そして今日、十九日にはE町。隣接している町同士とはいえ、確かに不自然だった。
「あ、それで、あちらの方は調べてきて頂けましたか?」
「うむ。缶の入った袋の重さのことだろう? それがだな、だいぶ重かったのだよ。全部が全部中身入り、というわけではないものの、大半は中身がそのまま入っていそうな重さだったな。一袋で米袋三抱え分くらいの重さはあった」
 というと、三十キログラムくらいか。四十リットルの袋でそれだから、缶で埋め尽くすときの充填度を考えたら四分の一も飲んでいない計算になるだろう。……え?
「え、え? じゃあおかしくないですか? 飲んでもない大量の缶を投棄するなんて」
 新情報はむしろ謎を深める方向にしか役に立たなかった。

--21:52
 エヌ氏が撮ってきたという写真を見せてもらった。スマートフォンを使いこなす彼の魅力に少々当てられながらも、引き目の一枚と、接写の一枚。実際に証拠品を見せられると、不気味さが今更ながら実感されてきた。群集恐怖症の人はこれを見たら泣き出すんじゃないだろうか。引いて撮った一枚は、さながら昆虫の複眼のようにも見えた。
 写真を見てわかったが、ゴミ捨て場のかなりの面積がこのゴミ袋で占領されている。正直ちょっと邪魔になる。
 今のうちではそれこそ僕らくらいしかこんなことが起こっているのを知らないかもしれないが、噂がもし広がり始めたらと思うと、実害のない気楽な事件ともそうそう言えなくなってきた。だって、もしこの缶の山が人を傷つけるためのものだったとしたら? そうでなくとも、そういうベクトルで噂話が広まったとしたら?
「写真だけ、こちらのパソコンに保存させていただいてもよろしいでしょうか?」
 湾さんが抜かりなくそういって、ガラステーブルの上に置かれたパソコンとエヌ氏のスマートフォンが接続される。うわ、結構な解像度で撮ってらっしゃるな。
 明日も仕事があるので、と早々にお帰りになられたエヌ氏。後に残された僕たちはソファに並んで座って、地図とプリントアウトした写真を眺めていた。
 僕にだって明日学校があるし、そもそもこの事件に真剣に取り組む義理はないはずなのだが、今更放り出す気にもなれない。
「なにか、今のでわかったこととかありますか?」
 隣の湾さんに聞いてみる。珍しく落ち着かなげに髪をいじりながら、湾さんは口を開く。
「……地図、見てください。何か気になります」
 地図か。地図上にプロットされた赤い点は、ちょうど繋げば二等辺三角形になる。
 A町の点は市の真ん中くらいに、S町、E町の点はそれぞれA町との境目付近にある。
「今後なにかの形になる、ってことですか?」
 あり得なくもないが……。
 そうだとした場合、説明が付かないわけではない。犯人側の理屈はこうだ。
 まず、ほとんど満タンの缶ジュースを大量にゴミ捨て場に放置する。それを何度か繰り返す。
 そんなような不思議なことをすればこの町の中で話題になり、僕らが作ったように事件の起こった地図が作られる。
 そこで、プロットされた点を見ると、わかる人にはわかる方法で、メッセージが伝えられるのだ……。
 なるほど、この方法を取れば、缶が大量でなければいけないわけも、どうして缶なのかもわかる。大量でなければ話題にならないし、缶ジュースよりも値が張るものを大量に捨てるのは犯人にとっても無駄だからだ。大量投棄されると不自然さを醸し出すものの中で、一番安価なのはまぁ妥当に考えれば、缶ジュースになるのかもしれない。
 というようなことを伝えると、湾さんはゆっくりと首を振った。
「おもしろい仮説ですが、残念ながら違うと思います。まず、地図が作られ、犯人グループがそれを見せたいと思った人物がそれを見るという確証がありません。おまけに、最初のうちの情報は、かなり曖昧なものになるはずです。まぁこれは、犯人側がそういった地図を自作すれば済む話ですが。
 ただ、もっと大きな欠点があります。模倣犯が現れた場合のことが考慮されていません」
 あ、なるほど……。そういうことか。もし模倣犯が現れたりなんかしたら、地図上の点が描く形は犯人側の意図したものとは違ったものになってしまう。
「わたしが考えているのは、こっちです」
 といって、ペン先で示す。それは、投棄された日付だった。
「金曜日、月曜日、火曜日……。土日を避けています」
「それは、ゴミの回収をやってないからじゃないんですか?」
 当然のことだと思って気にもかけなかったが。
「つまり、そこです。たとえば今の小海の仮説だと、出来るだけ長い間缶の山は放置されている方が望ましいです」
 確かに、気づかれたいのなら当然だ。
「だったら、土日にも置いてしかるべきですよね」
 なるほど。
 湾さんは、ノートパソコンに手を伸ばしていくつか画面を開いた。僧服でパソコンをいじっている姿はどこかシュールだ。指が長くて綺麗だななどと的外れなことを思い浮かぶ。手指繊長相、確かに三十二相に含まれているが。
「ほら、見てください。A町、S町、E町それぞれのゴミ回収日です」
 そういわれて、パソコンの画面をのぞき込む。ホイールでタブをころころしながら三つの表を眺めると
「缶の回収日、金曜日がA町、月曜日がS町、火曜日がE町になってる……」
「わかりました? 投棄された日と、回収日が同じです。これらのことから、犯人の目的は投棄その一点に限られます。しかも、なるべく速く」
 なるほど。実に論理的展開だ。
「ただ……、これ以上はわかりませんね。新しい展開がないと」
 手詰まり、か。このまま謎を解いてしまうんではないかと期待していた僕は、拍子抜けしてしまう。と、同時にお腹の虫が鳴き始めた。もう二十二時近い。昼間から何も食べていなかったので、仕方ないとも言えるが、「あわ、ごめんなさい」
 これにはむしろ僕が恥ずかしいと言うより、湾さんの方が恥だと思ったようだ。
「あ、もう、わたしったら! すいません本当にこんな長い時間……何も召し上がってないんですよね?」
 そういうことになります。
「もうそろそろ時間も時間ですし、お帰りになられますよね……。あ、でも。どうせカップ麺くらいしかありませんが、家での夕飯の前に食べていかれます?」

 家ではひょっとすると僕の分の夕飯が片づけられている可能性すらあるので、ありがたく頂くことにした。カップ麺程度でありがたがってどうする。と、いうか、初めて会った人に初めて会った場所で僕は何をしているんだろうと、さっきも思ったようなことがまた目の前をよぎった。
 出されたカップ麺をずるずるとすすりながら、まるで自分の与えたミルクを飲んでいる野良猫を見るかのように湾さんが見てくるので、僕はいたたまれなくなって、目の前の写真に集中しているふりをする。なんでこういうときはものすごい聖職者然とした目つきをするんだろう。味わかんねー!「美味しいですか?」手料理でもないのにその台詞、あれっなんかおかしくないですか? 価値観の違い?
 フタについている「三つまとめて買うと五十円引き」のシールが胸に痛い。湾さんの立ち居振る舞いが晏如としていて気づかなかったが、もしかしてものすごい貧乏暮らしなんじゃないだろうか。生計は屹度貧乏である。さうして晏如としてゐる。漱石の三四郎を思い出した。
 なにか味についてコメントを返さなければならない、そう思ってカップ麺の側面の表示を眺める。なんかネタになりそうな要素は……、
「あっ、これそもそも賞味期限一昨日じゃないですか」
 湾さんがのぞき込む。目を大きく見開いて、「あ。あ、あの、本当に申し訳ないです……。死にゃしませんよね?」
 だから、最後のは僕の台詞だ。
 ……? あれ、何かがひっかかる。残った麺をかっこんで、湾さんに聞く。
「ちょっとこのパソコン使ってもいいですか? さっきの写真……」
 綺麗に頭を下げていた湾さんが頭を上げて、不思議な顔をする。「あ、ええ、どうぞ? どうかしましたか?」
 ベジェ曲線がうねるスクリーンセーバーからデスクトップに戻る。……いつかここも掃除してあげないとダメだな。大量のアイコンに埋もれて背景画像がなんなのかもわからないデスクトップのアイコンに自動整列と日付順配列をかける。
「これだ」
 僕は、そのうち接写された方の写真を思い切り拡大する。あの解像度なら大丈夫かと思ったが、それでもやはり少し見づらいので、補完処理をかける。思った通りだ。これで何も不思議なことはなくなる。
「見てください」
 少々自慢げにノートパソコンの画面を湾さんに向ける。そこに映し出されていたのは、拡大されて一文字一文字が読めるようにされた烏龍茶の成分表示。
「……? あっ」
 そう、これらの烏龍茶の賞味期限は、つい最近切れていた。
「全部わかりました。湾さんも納得のいく説明を付けられると思います」

「そう。見てわかるように、これらの缶は、賞味期限が切れています。だから、捨てられた」
 我慢できないといったように、湾さんが口を挟んでくる。
「で、でも。こんなことになる前に少しづつ飲んで捨てていけばよかったじゃないですか。それに、どうしてこんなに、賞味期限を切らしてしまうとわかっていながらこんなに大量に買ったんですか?」
 僕はそれには答えず、目の前のノートパソコンをまた少し触る。そして、ニュースサイトやインターネット上の掲示板のまとめブログと呼ばれるサイトを開いた。
「こんな事件が去年起こりました。ある大手の、湾さんも名前を聞いたことがあるでしょう、大型量販店が、インターネット通販業務をしていました」
 思いがけない話の方向に、湾さんが面食らう。いいぞ。この感覚、癖になる。
「もちろん、定期的に商品の内容は更新されますよね。しかし、清涼飲料水のページを更新する際に悲劇が起きた」
 もったいぶって句点を挟む。
「そう。一缶で百二十円とするべきところを、としてしまったのです」
 まあ、このことを思い出したのはさっきのカップ麺のフタのシールを見たからなのだが。
 はっ、と大きく口を開ける湾さん。
「なるほど、この量はそれで……」
 手慰みにいい加減にページをスクロールさせながら僕は続ける。
「しかし、このミスが良心的な人間によって気づかれて、適切に担当者の元に連絡がいけばよかった。しかし、最初にこのことに気がついたのは、インターネット上のお祭り男たちでした」
「彼らは、掲示板このことを取り上げました。そして、我先にとこの一本一銭にも満たないジュースを注文し始めたんです。注文履歴はスクリーンショットが撮られ、それが掲示板にアップロードされ、その注文個数が大きければ大きいほど、合計金額とのギャップに掲示板は沸き立ちました」
 そういってまとめブログにある画像の一つをクリックした。バカみたいな個数の清涼飲料水と、それに反して「合計:10円」としか書かれていない注文明細。
 湾さんがくすっと小さく笑いを漏らした。僕も最初に見たときは爆笑だった。
「もちろん、本気じゃなかったでしょう。実際にこんな注文が受理されるわけがないし、掲示板の中でも『こんなことをしたら犯罪だぞ』と主張する人も居ましたしね。
 でも、違った」
 そのときの、通販サイトのウェブ魚拓を開く。
「もちろん、即時対応がとられました。価格は適正なものに訂正され、トップページにはお詫びが乗せられました。しかし」
 カーソルで一行分を反転させる。
「この文章を見てください。『誤表記の際にご注文が完了したお客様については、ご注文時のお値段でお届けさせていただきます』、とあります。結果は、注文した人たちの勝利でした」
 連続してしゃべったので、疲れて息をついた。ブラウザを閉じて、湾さんの方を向く。
「……知ってました?」
「いえ……こんなことがあったなんて、いま初めて知りました」
 まぁ、仕方ないか。インターネット上ではわりと話題になったが、湾さんが熱心にSNSやらの交流をするタイプには見えないし、テレビでも大きく報道はされなかった。知らない人は結構知らないだろう。
「さて、しばらくして。注文した大量の缶ジュースが彼らの家に届きました。伝票と実物とが同時に移り込んだ写真は、なかなかにシュールでおもしろかったですよ。そこで、僕たち関係のない人間にとってはこの話は終わったことになった」
 ここらで、湾さんも話の全体像が見えてきたららしい。
「だが、悪ふざけの代償は高くついた……と」
 そう。用済みの大量の缶は、一介のお祭り男の手に負えるものではなかったのである。
「ここから先はさらに僕の妄想が激しく入り込んできますが……。おそらく、今回の犯人もこの悪ふざけをして大量注文に成功した人の一人でしょう。で、たぶん高校生か、大学生です」
「どうしてですか?」
「こんなバカなことをするのは相場が決まってます。彼らは、眼前の大量に積まれた缶ジュースを見て、途方に暮れた。後先考えないとはこのことを言うんですね。で、ここからが特に曖昧な妄想でしかないんですが、湾さん、ところでこんなアホな行為、とても誉められたものではないですよね」
「確かに、人のミスにつけ込むのは……よろしくないですよね」
 拳を軽く握りしめて若干本当に義憤に駆られている様子なのが面白い。
「で、その彼も自分のした行為があまりIQの高い行動だとも思っていなかった。だから、彼らはそのジュースを隠したんです。親に知られたらことですからね。たぶん、そのまましばらくすると、忘れてしまったんじゃないでしょうか。
 そして、一年が経ちました。一般的に、ペットボトルの賞味期限は半年程度、缶ジュースの賞味期限は一年ほどです。若干は飲んではみたものの、結局大量に余らせてしまった賞味期限の切れた缶ジュースの山を前に彼はたいそう困った。もう捨てなければならない。でも、この量の缶をこっそりと捨てるのには無理がある。彼は、ついに親に相談して、まぁ、こっぴどく叱られたでしょうが、缶の山を捨てることにした。……彼が言い出したのではなく、親が缶の山を見つけたってことでもいいですけど」
 こうすれば、すべての辻褄が合うはずだ。
「はぁ……なるほど。それで、何日かに分けて、一気にことを済ませてしまおうとしているわけですね。そして、こんな様子を人に見られるわけにもいかないから、出したらその日のうちに回収されるように町を選んでいる」
 量が量だし、そういうことでしょうね。
「……しかし、結局誰がやっているのかはわかりませんでしたね」
「心配しなくても、どうせすぐに終わりますよ。家にある缶を全て捨てきってしまえば終わりですから」
 それに、と僕はさっきの地図を指さす。
「犯人についても、だいぶ範囲は絞れると思いますよ」
 湾さんが驚きと疑いの目つきを向けてくる。
「S町とE町の点を見てください。ほとんどA町とのほぼ町境近くですよね?」
 あっ、と湾さんが膝をたたく。
「なるほど、犯人は、A町の方ですね! まず、金曜日にA町でゴミを捨てて、二日目からはA町からもっとも近く、それでいてその日に缶を回収してくれる町のゴミ捨て場に行った、と」いや、それだけじゃない。
「たぶん、住んでいる場所も特定できますよ。S町とE町の件のゴミ捨て場から、仮にだいたい等距離だとして、この間に線分を引いて、線分の垂直二等分線を引くと……、あ、ほら。A町のゴミ捨て場に被ります。つまり、A町のゴミ捨て場、アパートの中でしたっけ? ということは、このアパートの住人でほぼ間違いないですね」
 Q.E.Dとでも言いたくなったがよく考えたら妄想で理屈をこじつけただけで、デモンストランダムでもなんでもない。
 湾さんが僕の左肩を両手でつかんでゆする。
「小海、すごいです! 謎解きの手伝いをさせようとしてたらいつの間にか勝手に解かれてました! 何を言ってるのかわからないと思うが……」やかましい。
「いや、運良くただ単にあの事件のことを知ってただけですし」
 頭をかく。単純な賞賛には慣れてない。
「運も実力のうちです。といいますか、わたしから言わせれば実力も運のうちです」
 なんだその人生哲学は。二軍の選手とか浪人生とかが吐きそうな台詞だな。
 湾さんが肩から手を離して、少し考え込む。
 そして次に口を開いたとき、とんでもないことを言い出すのである。

 僕の両手をがっしりとつかんで、上下に振りながら湾さんは熱くアプローチしてきた。
「助手ぅ?」
「そうなんです。実は、これだけ依頼が多いならいっそのこと探偵として事務所を開いた方がいいかなって……」
 どのおっさんがそそのかしたんだ。エヌ氏か。
「そしたら、絶対に一人じゃ仕事をこなせないじゃないですか。だから、小海に助手を……。わたしよりよっぽど優秀そうだし」
 僕は手を振り払って、ぶんぶんと両手同時に振る。冗談じゃない。
「どうしてもですか? 改宗を迫ったりはしませんよ、約束します」
 改宗もなにも何教徒でもないが。
「絶対無理ですって。おまけに、今のことで僕が変に能力あるとか勘違いされても、困りますって」
 今のは完全に偶然でしかない。
「大丈夫ですって。普段はお茶くみと掃除とかです」
 自分でやれよ。あ、二つ目は出来ないのか……。なるほど、彼女が僕を切望するわけがわかった気がする。掃除スキルか……。
「なんとかお願いできないでしょうか。……この一年間おじさま方とばっかり交流が出来てて、若い子とおしゃべりできませんでしたし……」僕は若いツバメ扱いかよ。
 次第にしぼんでいく言葉尻に、僕の心が揺れる。寂しい人生送りすぎだろ。しかも、この生活力。この人は放っておいて大丈夫なのか。
 もちろん、湾さんとの謎解きも、楽しくなかったわけではない。
 だから、しばらく迷ってから、湾さんの目を見ずに応える。
「……どうせ、このビルには週二回通うんだし、そのついでですよ」
 僕の言葉に、湾さんの顔がぱーっと明るくなる。
「本当ですか! 絶対ですよ」
 欣喜雀躍として手渡された教会の鍵を手の中でもてあそびながら、僕は神の国の鍵を手渡されたペテロとは大違いだな、とかなんとか考えていた。